ほかの人にどれだけ説明してもむだなんだけど……。ヘビメタ騒音は、うるさいだけの騒音じゃないんだよ。ヘビメタ騒音の影響は、うるさいだけにとどまらないんだよ。もう、ほんとうに、全部がダメになる。
そして、この「ダメになる」過程が、ほんとうに、ほかのひとにはわからないんだよな。どれだけ、死にものぐるいの努力をしても、ダメになる。必然なんだよね。
けど、ほかの人は、ヘビメタ騒音の影響なんて、ゼロだと思っている。
そういう前提で、ものを考える。
そういう前提でぼくの話を聴く。
ヘビメタ騒音にさらされず、一五年間経過したぼくの話ではなくて、ヘビメタ騒音に一五年間経過したぼくの話なんだよ。どれだけ、ヘビメタ騒音で、地位がなくなるか。ヘビメタ騒音で、不可避的に、「ダメな状態」になる。これが、ゆるせない。
これ、本当にちがうのに……。
あとは、若いとき、ヘビメタ騒音なしで、あの子とあって、あの子とつきあいたかったなということが、うかぶ。親友との関係だって、ほかの友達の関係だって、全部、まったくちがうんだよな。
きちがい兄貴が、ヘビメタを鳴らすことを思いついて、ヘビメタを鳴らし始めた。きちがいの頭だから、やり方が、そもそも、おかしいのである。
で、だれも、きちがい兄貴以外の人は、そんなやり方でやらない。だから、ほかの人の家族は、そういうやり方でやらない。
だから、ほかの人は、ほんとうに、知らないのである。自分の経験としてまったくわかってない。だから、「ダメになる必然性」もまったくわかってない。だめになった俺を見下してくる。ヘビメタ騒音でだめになった俺を、見下して、いろいろなことを言う。
これ自体が、屈辱なんだよね。
ほかのやつが、俺とおなじヘビメタ騒音相当の騒音を経験して、それでものを言うのであれば、まだ納得できるけど、ほかのやつは、ヘビメタ騒音相当の騒音を経験してない。
ヘビメタ騒音生活をまったく経験してない。どれだけ、広範囲に影響が出るか、まったくわかってない。
わかってないのに、わかっているつもりで、ものを言ってくる。常識にあわせて、こっちにとって、「無理な話」をする。むりな話なんだけどなぁ。
わからないんだろうな。
特に、言霊のように妄想的な考えにとりつかれているやつは話にならない。自分がどれだけめちゃくちゃな話をしているのがまったくわかってない。