「予兆」というのがあるのである。
人間は、学習する。
たとえば、トラブルにはある種のパターンがあるということを、学習したとしよう。トラブルが起こりやすい環境というのがある。
たとえば、きちがい的な理由で怒り狂う親がいるうちでは、トラブルが起こりやすい。これは、頻度の問題なのである。
繰り返し繰り返し、頻繁に発生した出来事というものを無視してしまうやつらがいる。「過去なんて関係がない」と言うやつらだ。繰り返し繰り返し、頻繁に発生した出来事というのは、過去の出来事なんだよ。
繰り返し繰り返し、頻繁に発生した出来事は……何年間も、十数年間も、ずっと毎日、頻繁に発生していることだから、「現在」に影響をあたえる。現在の状態に影響をあたえる。勝手に無視してんじゃねぇーーよ。
自分の身にしょうじなかったことだから、無視できるだけの話じゃなか。自分のからだではなくて、ほかの人のからだだから、無視できるだけの話じゃないか。こいつらの言っていることは、はなっから、おかしい。まちがっている。
* * *
トラブルが発生するまでに、第三段階の段階があるとする。ようするに、第一の出来事が発生して、第二の出来事が発生して、第三の出来事が発生して、トラブルが発生するとする。
その場合、繰り返し繰り返し、そういうことが起こっていると、第一段階の出来事が起こった時点で、「これはトラブルが発生する」と予想することができるようになるのだ。経験から、法則性を導き出し、未来を予想することができる。
これは、実際に経験したことについて語っているわけだから、「自分がまったく経験しなかったこと」について、空想して、勝手に語っていることではない。ちゃんと、現実的な出来事について語っている。
第一の出来事が発生した時点で「トラブルが発生する」という「暗い考え」がうかぶのだ。
これは、予兆だ。
現実的なパターンの積み重ねがあるので、第一の出来事が発生した時点で「これは、トラブルが発生する確率が高い」と思うことができるのだ。なので、第二の出来事が発生しないように注意をむけるということができる。
「これは、トラブルが発生する確率が高い」という「暗い考え」がうかんだからこそ、第二の出来事が起こらないように、行動することができるのである。これは、重要なことだ。
けど、対策ができないことだとどうなるか?
あるいは、本当はできる対策が、なされなかった場合はどうか?
第二の出来事が起こり、第三の出来事が起こり、トラブルが発生するのだ。
ここで、AさんとBさんに登場してもらおう。Aさんは、パターンを学習して、こういう場合は、こういうことが起こりやすいということを理解している人だ。Bさんは「暗いことを言うと暗いことが起こる」と思っている人だ。
かりにAさんが、第三の出来事が発生したことを確認して、「トラブルが発生する確率が高い」とか「このままいくと、トラブルが発生する」とかと言ったとしよう。とか「このままいくと、トラブルが発生する」とかというのは、ネガティブな発言だ。
「明るい思霊」にこころを支配されているBさんは、Aさんが「暗いことを言った」と思ってしまうのである。
もっとも、「すべては思いよう」「すべては受け止め方の問題だ」と言うのであれは、当然、Aさんは意味内容として中立的なことを言っただけであり、「暗いことを言った」と判断したBさんが、「Aさんが暗いことを言った」と思っただけだということになる。Bさんは、本来、中立的なことを、暗いことだと受け取ったのだということになる。
この立場から見れば、Aさんが予想しているトラブルも、中立的な出来事だということになる。トラブルだと感じて、トラブルだという認識をもったAさんが、本来、中立的な出来事をトラブルとして認識しただけなのだということになる。
精神世界の人は、「暗いことを考えると暗いことが起こり、明るいことを考えれば明るいことが起こる」という考え方と「すべては受け止め方の問題だ」という考え方をもっている場合が多い。これも、セットになっているようなものなのだ。精神世界セット。
けど、この両者は、ある意味、矛盾している。しかし、この矛盾にかんしては、今回は、このくらいにしておく。
話をもとにもどすと、「Aさんが暗いことを言った」とBさんが思うのである。そして、実際に、トラブルが発生したとする。その場合、Bさんは「Aさんが暗いことを言ったから、トラブルが発生した」と思ってしまうのである。
しかし、Aさんが暗いことを言ったから、トラブルが発生したのではなくて、Aさんの予見通りに、トラブルが発生したのである。
原因は、別なのである。
ところが、Bさんみたいな人がいっぱいいると、そういう人たちが、そういうまちがった考えに基づいて、Aさんをせめるのである。こういうことが、普通に発生してしまう。
こういうことを考えた場合も、「暗いことを考えると暗いことが起こり、明るいことを考えれば明るいことが起こる」という考え方は、やっかいな考え方だなと、ぼくは思う。
もし、こいつらが、Aさんをせめて、Aさんの口をふさいだとする。
そうなるとどうなるか?
第一の出来事が発生しても、だれも、なにも言わず、第二の出来事が発生しても、だれもなにも言わず、第三の出来事が発生しても、だれもなにも言わず、かなりの高確率で、トラブルが発生してしまうのだ。これが、「明るい思霊」主義者がやっていることだ。
だれがわるいのかということについて考えてみよう。
第一の出来事、第二の出来事、第三の出来事を引き起こした人間がわるいのである。ところが、Bさんは「Aさんがわるい」と思ってしまうのである。Aさんがわるいことを言ったので、わるいことが現実化したと、Bさんは思ってしまうのである。
Bさんは、ますます、自分の考えに自信をつけてしまうのである。「悪いことを言ったから、悪いことが起こった」「これが正しい」とBさんは思ってしまう。「悪いことを思わなければ、悪いことは起こらない」「これが正しい」とBさんは思ってしまう。
まったくこまったやつだ。