2023年11月22日水曜日

「おまえ、ぜんぜんわかってないよ」と言いたくなる。

 やっぱり、人間というのは「出来事」の影響をうける。それが自然な状態だ。きちがい的な人間と一緒に住んでいると、きちがい的な人間の行為の影響をうける。特に、頑固に、絶対の意地で、きちがい行為をやるやつがいると、トラブルがしょうじる。そのトラブルのなかでの感情消費が、普通の人とのトラブルでしょうじる、感情消費よりもずっとずっとずっと、上なのである。どうしたって、なぐりたくなる。どうしたって、殺したくなる。しかし、なぐるわけにもいかず、殺すわけにもいかないとなると、そういう感情が内向してしまうのである。なので、きちがい的な人間と一緒に住むことは、健康上、非常に悪いことなのである。そしてさらに、ほかの人は、きちがい的な人間と一緒に住む経験がなかったとすると、ほかの人には、きちがい的な人間と「うちなので」対峙したことがないということになる。その場合、ほかの人の理解というのは、えられないのである。なので、二重に傷つくことになるのである。きちがいが、すぐになおってしまうなんてことはないのである。頭がおかしい親は、ずっと頭がおかしい親なのである。きちがい的な行動をきちがい的な意地でするやつなのである。そして、絶対に反省はしない。この、絶対に反省はしないというポイントが、非常に重要なのだけど、これも、ほかの人……きちがいてな家族と一緒に住んだことがない人には、わからない。きちがい的な兄も、ずっときちがい的な兄なのである。頭の構造がかわるわけがない。『うちにいる限り』『うちにいるときの』『行動をする』のである。そして、絶対の意地で行動する割には、絶対の意地で、行動したということを認めないのである。この「認めなさ」。きちがい親父と、きちがい兄貴でおなじなんだよな。だから、絶対の意地でやったことは、絶対の意地で、やったと認めない。うちで、いつもそうなんだよ。そうなると、俺がこまるんだよ。

ともかく、出来事は感情や体力に影響をあたえるのである。繰り返し、繰り返し、しょうじている「似たような出来事」は、感情や体力に影響をあたえる。「よくなったよくなった」と言えば、よくなるかというと、よくならない。「つかれない」と言えばつかれなくなるかというと、そんなことはなくて、つかれる。出来事が影響をあたえているのである。で、この出来事が、感情や体力に影響をあたえるということは、比較的に言って、よく理解されることなのだけど、意欲になると、理解されない。あきらかに、きちがい家族のせいで、全体的な意欲が、さがっているのに、「全体的な意欲がさがった」というと、「人のせいにしている」と言われるのである。しかも、まともな家族と暮らしてきたやつが、そういうことを言う。「おまえ、ぜんぜんわかってないよ」と言いたくなる。

きちがいがきちがい的な意地でやるんだよ。どれだけこまるか。そして、きちがい的な意地で責任をとらないんだよ。きちがい的な意地で「やった」と認めないんだよ。きちがい的な意地で、「関与」を認めないんだよ。けど、また、きちがい的な意地でやっちゃうんだよ。そうなると、こまり続けるわけなんだよ……こっちは。こういう出来事の連続が、こっちの「意欲」に影響をあたえないわけないだろ。体力と言えば、普通の体力を思い浮かべるけど、睡眠まで含めた、日常生活を円滑におくるための体力がある。睡眠まで含めたということは、重要だ。体力というと、体力測定で測定できるような体力を思い浮かべてしまうけど、睡眠まで含めた「日常生活を円滑におくるための体力」というのがある。これは、普通の体力測定にも影響をあたえるけど、普通の体力測定というのは、言ってみれば、瞬間的なものだ。寝不足だと、寝不足ではないときよりも、一割から三割ぐらい落ちるかもしれないけど、そのとき、がんばればなんとかなってしまう。けど、十数年間毎日、寝不足だと、「日常生活を円滑におくるための体力」が極端に落ちてしまうのである。これは、通常の体力測定では測れない体力だ。睡眠まで含んだ、体力というのが重要なのである。どうしてかというと、日常生活においては、時間通りに通勤通学するということが、必要だからだ。これ、根底の部分なのである。ほかにも必要とされる能力はあるけど、これがどれだけ重要な能力か、普通の人は、無視してしまうのである。どうして、無視できるかというと、「やっかいではあるけど」「多少の苦痛を感じるけど」普通にできることだからだ。これが、十数年間毎日の、睡眠相(あるいは、サーカディンアン・リズム)のみだれによって、できなくなってしまうのだ。けど、これが、普通の人には理解されないのだ。普通の人には、きちがい的な意地で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、きちがい的な騒音を鳴らし続ける、家族がいない。毎日、そういう経験をしてない。人生のなかで、そういうことが、毎日毎日、十数年にわたって、発生しなかった。なので、体力と言えば、普通の体力を思い浮かべてしまうし、「自分だって通勤はきつい」という気持になってしまうのである。けど、「自分だって通勤はきつい」と言っている人には、きちがい家族がいないし、とりあえず、「いやだけど」「つらいけど」「通勤ができる」体力……睡眠まで含めた生活体力が残っている。残っているんだよ。残っていない俺とはちがう。この人たちも、たしかに、つらい思いをして通勤していると思うけど、きちがいヘビメタが一日に何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、ま位置になっている状態で、通学してきたぼくとはちがう。ぜんぜんちがう。人生経験がちがう。睡眠まで含めた生活体力が残っている。

きちがい家族と一緒に暮らしたことがないやつが「そんなのはあまえだ」と言う場合がある。こいつも、なぐり殺してやりたいほど怒りがわく。どうしてかというと、きちがい兄貴に対する怒りが「のっかっている」からだ。なぐり殺してやりたいほどの怒りがわくのだから、相手は、さっきを感じるかもしれない。あるいは、「ものすごい目でにらんできた」と思うかもしれない。そうすると、なぐらなかったとしても、人間関係がうまくいかなくなるのだ。そりゃ、「そんなのはあまえだ」と言ったやつは、きちがい家族と一緒に生活しかたことがなく、体力と言えば、体力測定で測れるような体力を思い浮かべるし、自分だって「つらい気持ちで通勤している」わけだから、当然の、発言だと思っているのだろう。けど、ちがうのだ。そいつは、睡眠まで含めた生活体力が残っている。どうして、残っているかというと、そいつの人生のなかで、きちがいヘビメタ騒音が毎日鳴っているということがなかったからだ。きちがい家族による、「世間ではありえないような」騒音がずっと鳴っていた……という人生上の経験がないのである。一日のなかでずっと鳴っていた。そりゃ、きちがい兄貴は、すべての時間を使って鳴らして、殺さなければやめさせることができないからな。ともかく、世間の人には「睡眠まで含めた日常生活を円滑におくるための体力」が極端に削られた状態というのが、わからない。それは、毎日、きちがい的な騒音をずっと聞かされるという生活を十数年にわたって経験したことがないから、そうなる。近くにアパートを借りて、生活してから、ヘビメタ騒音にさらされる時間は、減った。けど、アパートを借りることができたのは、ヘビメタ騒音がはじまってから一一年目のことなのである。通学と通勤の区別をせず、ある一定の時間にそこに行く必要がある生活が成り立っているとして、なおかつ、きちがい家族による「家庭内の騒音」があると、睡眠まで含めた生活体力が著しく消耗して、なくなってしまうのである。けど、ほかの人の人生には、きちがい家族がいないのだから、そういうことがしょうじない。どれだけの意地で鳴らすかわかってない。どれだけ「でかい音で鳴らす」ということにこだわっているかわかってない。どれだけ「ヘッドホンをしない」ということにこだわっているかわからない。そして、自分がきちがい的な意地でやったことは、全部、やってないことだと感じられる感性がわかってない。この、きちがい感性。自分がでかい音で鳴らしたいと思ったら、耳が正常なのに、めちゃくちゃにでかい音で鳴らして、普通の音で鳴らしていると思えるきちがい感覚がわかってない。普通の人には、そんな家族はいない。普通の人はそんな家族と毎日一緒に暮らしているわけではない。普通の人は、でかい音で鳴らせば、でかい音で鳴らしているということが、わかる。きちがい兄貴は、絶対の意地で、でかい音で鳴らすけど、でかい音で鳴らしているということが、耳が正常なのにわからないのである。のちに、ヘビメタ難聴になるので、耳が正常ではなくなるのだけど、鳴らし始めたときは、正常だったのである。自分がヘビメタ難聴になるほどでかい音で鳴らしているのに、普通の音で鳴らしていると思っているのだ。こんなのはない。フォークギターで、フォークギター難聴になるか? ならないだろ。音のでかさがちがうんだよ。ほんとうに頭にくる。こういうところで、「だましている」。こういうところで、きちがい兄貴が、きちがい兄貴のことをだましている。そして、これが腹の立つところなのだけど、どれだけこっちが指摘しても、きちがい兄貴はわからないままなのである。そして、でかい音で鳴らし続ける。こだわりの音で鳴らし続ける。けど、悪いことをしているつもりがまったくないのである。それは、入学試験の前日でもおなじなのである。もちろん、こっちの入学試験の前日だ。ともかく、そういうところに、「ズレがある」人間なのである。そして、そういうところにずれがある人間は、少ないので、そういうところにずれがある人間と、「家族として」一緒に暮らしている人間も少ないのである。なので、普通の人は、そういう人間が……きちがい兄貴のような人間が……自分のこだわりの音で、ヘビメタを鳴らすということになった場合の、しつこさがわかってない。ともかく、普通の人間は、そういう家族と一緒に住んだことがないので、そういう家族がもたらす、騒音が、「自分のからだに」どういう変化をもたらすかについて、経験的にわかってないのである。なので、「そんなのはあまえだ」と言ってくる。腹、たつだろーー。たつに決まっている。けど、そういうことが理解できるのは、きちがいヘビメタ騒音相当の騒音を、聞かされ続けた人間だけなのである。家族が音源である人に限られるのである。きちがい的な家族によって、こっちの「睡眠まで含めた生活体力」がうばわれてしまうのである。どれだけ、がんばって生活して市もそうなる。どれだけ、たえて、がんばってもそうなる。どうしてかというと、毎日、きちがい的な音で鳴っているからだ。これ、不可避的に眠れなくなる。たえて、がんばっていると、一時的なストレス対応(反応)がずっと毎日、続くわけだから、ズタボロになってしまうのである。意志に関係なくそうなってしまうのである。人間というのは、ストレスに対して対応できるようにできている。けど、それは、一時的な出血大サービスみたいなものなのだ。ずっと続けることはできない。けど、がんばって続けたとする。「学校に行く」となると、がんばるしかない状態なのだ。きちがい兄貴の騒音のほうは、かわらないわけだから……。普通なら、一日だって、一時間だって、鳴らせないような音でずっと鳴らしているんだよ。これ、ほんとう、幼稚園とかご近所のうちとか、そういう物理的な構造が、きちがい兄貴のヘビメタをゆるすような構造になっているのである。マンションだったら、絶対に一日だって鳴らせないような音で鳴らしている。これが、事実だ。これ、きちがい兄貴があまりにもきちがいだから、俺が嘘を言っているのではないかと思われることがあるのである。もう、そういうのだって、人間関係に影響をあたえる。相手が、「エイリさんは、騒音についてウソを言っているのではないか」と思っていれば、俺のことを、疑惑の目で見て、俺の言っていることを、信用しなくなる傾向が強くなるのだから、人間関係に影響をあたえる。きちがい兄貴は、もちろん、そんなことを考えたことはないよ。ただ、一所懸命に、きちがい騒音を鳴らしているだけだ。俺が、いろいろなところで、誤解をうけるようになっている。きちがい兄貴があまりにも変なので、そうなる。きちがい兄貴の行為が、普通のうちでは成り立たないので、普通の人はぼくが言っていることが、ウソだと思うのだ。こんなのない。ウソだと決めつけなくても、うたがいをもっている状態が続くことがある。それは、人間関係に影響をあたえる。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。