きちがい兄貴は「よそのひと」よりも、自分の状態がわかってない。
「なにもやっているつもりがない」んだよな。悪いことをやっているつもりがない。けど、普通の人は、やるまえに「これは悪いことだからやめておこう」と思ってやらないことなんだよ。
まったく、なにもわかってない。弟がこまっているということも、何万回、言われたってわからないんだよ。
自分が無意識的にやりたいことは、一〇〇%、絶対の意地で通す。
けど、いつもいつも、つもりがないんだよ。だから、自分がやったという感じがない。まったくない。なおさら、迷惑行為をやったという気持はないよ。どれだけ言われたって、迷惑行為をやっていることになってないのだから、何万時間、つみかさねたって、ゼロ時間だよ。これは、きちがい兄貴の話だ。
きちがい親父のことについて言っておく。きちがい親父が、こっちが、幼児のとき、怒り狂っていたのだけど、これだって、迷惑行為をやっているつもりなんてないんだよ。きちがい的な意地で、きちがい的なことを言って、怒り狂って、幼児をいじめていたけど、いじめているつもりなんてないんだよ。
それは、きちがい兄貴が、普通の家では絶対に鳴らせないような音で、ヘビメタを鳴らしても、迷惑行為をしているつもりがまったくないというのとおなじだ。
こういうところで、本当に、きちがいの針が、降りきれているのである。これ、普通の人の想像の範囲をこえてしまう。そして、その「普通の人が想像できない状態」というのが、「いつもの!状態」なんだぞ。きちがいが、思い付きで、自分がやりたいことをやりはじめたら、どれだけ文句を言っても、とめることができない。きちがい兄貴も、きちがい親父もとめることができない。
とめることができないのだから、やったし、やりきったのだけど、本人(たち)は、やったつもりがないし、やりきったつもりもないのだ。こういう、きちがい状態が、きちがい兄貴やきちがい親父にとっては、ノーマルな状態なんだぞ。いつもいつも、そうなんだよ。
こんなの……生活がやぶけている。こっちの生活がやぶけている。日常の空間が……やぶれている。きちがいがいつもやぶっている。きちがいがいつも、きちがい感覚で、まったく悪いことをしてないつもりで、悪いことをやりきる。
やぶっている。ルールを破っている。
やったら「やったという認知」がしょうじるのが当たり前なのに、やっても「やったという認知」がしょうじない。まーーったくしょうじない。こんなの、普通の「認知にかんする常識」をぶったぎって、やぶっている。