これは、もうすでに書いたので、骨格だけ、説明する。有機水銀がはいった工場廃液を出す工場があるとする。そこで働いていた人をAさん、Aさんの上司をBさんだとする。Aさんは、「この茶色い排水を出すのはまずい。このままだとひどいことになる」と言ったとする。それたいして、上司のBが「そんなのは、どうでもいいから、ちゃんと働け」と言ったとする。Aさんが、予兆を感じて、「このままではだめだ」ということを言ったのに、上司のBが「そんなのは気にしないで、仕事をしろ」と言ったのである。がんがん仕事をすると、がんがん、茶色の工場排水が流れるのである。ポジティブ思考だと、お金儲けがたいせつなので、お金儲けに反することは、だめなことなのである。一度工場をとめて、工場排水の検査をしようとか、何か問題があったら、その問題部分取り出して処理するようにしようということは、効率主義にもとづけは、だめなことなのである。明るいことか、暗いことかということにこだわると、暗いことなのである。そりゃ、生産量を少なくて・工場排水を減らすべきだということは、もうけが少なくなることだし、工場排水に問題となる物質がはいらないようなフィルターをつけようということになると対策費がかかるのでおカネが減ることになる。上司のBがっていることは、効率的でポジティブなのである。Aさんがっていることは、非効率で、ネガティブなのである。「ネガティブな発言禁止」の「明るい言霊主義者」がいたとする。明るい言霊主義者は、どっち見方をするか? もちろん、ポジティブな発言をしたBさんの見方をするのである。明るい言霊主義者は、どっちの敵になるか? もちろん、ネガティブな発言をしたAさんの敵になるのである。
明るい言霊主義者は、明るいことを言っていれば、明るい未来があると言っているけど、この件に関しては、明るいことを言って、問題を先送りにしたので、不幸な出来事がしょうじたのである。
さらに言ってしまえば、気がつかずに、汚染魚を食べて、水俣病になった人が、工場の責任者に対して不平不満を言った場合、明るい言霊主義者は、水俣病になった人の側に立つのか、工場責任者の側に立つのかと言うと、工場責任者の側に立つのである。水俣病になった人は、光をうしない、自分のからだの自由をうしない、くるしんでいる。そのくるしんでいる人に「不平不満を言うな」「ネガティブなことを言うと、ネガティブなことになる」と言うのだ。何度も何度も言うけど、すでに、ネガティブなことが発生しているのだよ。明るい言霊主義者は、自分が、汚染魚を食べなかったので、水俣病にならず、元気に暮らしているとする。その場合、明るい言霊主義者は単純なので、「自分はポジティブなことを言ってきたから、水俣病にならず、水俣病になった人は、ネガティブなことを言ってきたから、水俣病になったのだ」という勘違いをして、その勘違いに、感情的に支えられた発言をすることになる。