後悔といえば、スキーだ。わかいときに、かわいい子とスキーに行きたかった。いま、スキーに行ってもおもしろくないわけ。ひとりで行って、すべって、おもしろいかというと、たぶん、おもしろくない。
さらに、まあ、現実的な問題としてはエクソソームの問題があるので、たのしめない。
これ、全部、ふっとんだよな。
長期ヘビメタ騒音で、どうしても、できない状態になった。そういうことが、こころのこり、といえば、こころのこり、だ。自分の気持ちを成仏させるために?かりに、スキーに行ったとしても、当時のようには楽しめないのだから、自分の気持ちを成仏させることはできない。
たしかに、「こだわり」といえば、「こだわり」だ。
人に説明してもむだなんだけど、本当に、長期ヘビメタ騒音でできくなる。長期ヘビメタ騒音が続いているときの状態というのは、たぶん、どれだけ説明しても、ほかの人にはわからないと思う。
なので、ほかの人は、勝手なこと?を言う。
自分だったら、(家族の出す騒音なんて)鳴ってたってできるというような設定でものを言ってくる。他人は、そうだ。けど、あの状態というのは、本当に、「できない」。一一歳のときから、毎日、あらしのような騒音が、何時間も何時間も鳴ってている状態ですごして、そして、一八歳のときに、スキーに行けるかというと行けない。
行ったって、だめなんだよ。
これも、どれだけ言っても、わからないと思う。一日の状態というのがわからないのだ。一日、二四時間、どういう状態で暮らしているか、八年間続いた人じゃないとわからない。八年目の一日がどういうものなのか、わかるはずがない。
気分は自分で制御できるというようことを言う人がいるけど、その人は、まったくわかってない。そういう状態ではないのだ。