2023年11月20日月曜日

こんなのが、「明るいこと」なのか?

 たとえば、明るい気持ちで働いていた漁師が、汚染魚を食べてしまったことについて考えてみよう。この場合、明るい気持ちで働いていたにもかかわらず、汚染魚を食べてしまったことによって、のちに、水俣病と呼ばれる病気になる。もちろん、摂取量は重要だ。そして、摂取量によって、症状が、症状の重さが異なるのである。

暗いことを考えると、暗いことが起こる……と思霊主義者は言っているけど、この場合は、別に暗いことを考えていなかったのに、暗いことが発生している。暗いことを考えていなくても……事前に考えていなくても……暗いことが発生することはある。

というよりも、暗いことを考えていなかったにもかかわらず、暗いことが発生する場合のほうが多い。暗いことを考えていたら、暗いことが発生したというのは、すでに、症状が出て、「これはおかしい」と思ったケースが多い。基本的なことを言ってしまえば、「予兆」がある場合だ。この予兆がある場合にかんしても、暗いことを考えていなかったにもかかわらず、暗いことが起こったのである。

どうしてなら、「予兆」というのは、既に初期症状が出ていることだからだ。暗いことを考えたかどうかではなくて、こういう場合は、毒を摂取したかどうかということが重要なのだ。どうしてかというと、毒と呼ばれている物質が体の中に入って、からだを構成している物質と結びついて、症状を発生させるからだ。

気がつかずに食べたのだから、暗いことは考えてない。

暗いことを考えなくても、暗いことが発生してしまうことがある。

その場合、すでに、「暗いことを考えると暗いことが発生する」という文自体がまちがっているということを意味している。

これも、言霊の「言ったことが、現実化する」という文とおなじ問題をかかえている。暗いことは、明るいことではなくて、暗いことなのだから、暗いことという集合のなかには、暗いことがすべて含まれるのである。現実化するという言葉のなかには、現実化しないということが含まれていないのである。

なので、暗いことを考えた場合、その暗いことは、すべて現実化する(発生する)ということになるのである。そして、暗いことを考えない以上、暗いことは発生しないということを意味しているのである。ところが、暗いことを考えなくても、暗いことは発生するので、文自体がまちがっているということになる。この命題は、『偽』だ。

この、くそまちがっていることを、あたかも、法則性があることのように言ってしまうのである。

こんなのはない。

どうしてかというと、実際に、くるしんでいる人は、過去のある時点で「くるしくなること」を考えたから、そうなったのだと言っているとおなじだからだ。実際、くるしんでいる人が、過去のある時点で、くるしくなることを考えなかったとしたら……「事実」考えなかったとしたら……濡れ衣を着せているということになってしまうのである。

そして、自己責任論と結びつくと、濡れ衣を着せた上に、さらに、責任を追及するということになってしまうのである。つまり、ニセの原因を考えて、当事者(くるしんでいる人)が、そのニセの原因をつくりだしたからそうなったと勝手に断罪し、責任を追及しているということになる。

ひどいことじゃないか。

こんなのが、ポジティブなことなのか?

こんなのが、「明るいこと」なのか?

こんなのが、「善い行い」なのか?

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。