「言霊理論はまちがっている」ということを、俺が、言霊主義者に言ったとしよう。
そうすると、たいていの言霊主義者は怒る。
すぐに、言霊を利用して、自分のご機嫌をとればいい。
「エイリさんが正しい」「言霊は、たしかにまちがっている」と言って、楽しくなればいいのである。
「自分の間違いを指摘されて、うれしい」と言えばいいのである。言霊理論が正しいなら、実際に、うれしくなるのだから、うれしいと言えばいい。
「楽しい楽しい」と言えば、実際に楽しくなるのだから、言霊理論を否定されたときも「楽しい楽しい」と言って、楽しくなればいいのである。
どうして、いつまでも、怒っているんだよ?
まあ、これは、もう、指摘したからいいか。もうひとつ指摘しておこう。
「希望をもって努力すればいい」ということと「言ったことが現実化する」ということが、イコールになってしまうらしい。「なんじゃ、それは??」とぼくは言いたくなる。「言ったことが現実化すると思って、希望をもって努力すればいい」……こういう話になってしまう。
「言ったことが現実化すると思って、『現実化する。現実化する』と繰り返し言いながら、努力すればいい」……こういう話になってしまう。
「言ったことが現実化すると思って、『願いが現実化する。願いが現実化する』と繰り返し言いながら、努力すればいい」……こういう話になってしまう。
言ったことが、現実化するのであれば、一回言ったら、現実化してしまうんだよ。
一回言ったのに現実化しないということは、言霊にはそういうチカラが宿ってないということなんだよ。ずっと、言い続けて、努力すればいい?
それなら、「希望をもって努力すればいい」と言えばいいだろ。
「言葉にはすごいチカラが宿っている」とか「言霊にすごいチカラが宿っている」とかと、言う必要がない。「言ったことが現実化する」「これは正しい」と言う必要がない。
「希望をもって努力すればいい」と言えばいいだろ。
「希望をもって努力すればいい」という文のなかには、「言霊」なんて言葉はひとことも、出てこないぞ。
* * *
さっきの話だけど、目上の人には「希望をもって努力すればいい」と言いにくいんだろうなと思う。成功者には「希望をもって努力すればいい」と言いにくいんだろうなと思う。
自分より相手のほうが成功しているだから、「希望をもって努力すればいい」とか「希望をもって努力すれば、いつか成功する」とかということは言いにくいことになるわけだ。
「自分より相手のほうが成功している」というのは、そういうふうに思っている人がそういうふうに思っているだけだ。
ようするに、「自分よりも相手のほうが成功している」と思っている場合は、相手に対して「希望をもって努力すればいい」とか「希望をもって努力すれば、いつか成功する」ということは言いにくくなる。
だって、自分より成功している相手に、「こうすれば成功する」と言うつもりになるか?
自分より成功している相手に、「努力すれば、いつかは成功する」と言うつもりになるか?
自分より成功している人に、言ったっていいんだよ。
けど、言ったら、ほかの人から「あの人は、発達障害者だ」とか「何様のつもりだろう」とか「空気読めねぇ~~」とかと言われておしまいだ。本人は他の人にそういうことを言う、常識側の人間だから、そういうことをしない。