無職の人は、「ご職業は?」と訊かれるのが、いやなんだよ。まあ、これは、無職属性をもっている人、一般に言えることだと思う。で、ヘビメタ騒音にやられながらも、世間の人とつきあっている状態というのは、それを五千倍、五万倍、五億倍、強めたような状態なんだよ。無職の人が、職業を聞かれる前の状態だ。相手は、職業を、当然、訊いてくるだろう。で、どういうふうに、こたえるかまっている状態だ。「訊かれたらいやだな」と思っている状態だ。そっちに話がいかなければいいな」「仕事の話にならなければいいな」と思っている状態だ。きちがいヘビメタにやられている状態というのは、そういう弱点がある状態なんだよ。あれだけ長い間続くと、まあ、いろいろとある。これ、ほんとう、生きていて、いやだったことだ。けど、これは、ほかの人にはないことなのである。どうしてかというと、ほかの人にはきちがい兄貴がおらず、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にさらされたことがないからだ。そういう、毎日がないからだ。連続した毎日がないからだ。「休みなく」というのが、本当にこたえる。土曜日、日曜日、なんかの休みの日、きちがいヘビメタが、数時間増えてしまう。倍の長さ聞かされてしまう。平日の倍の長さ、ヘビメタ騒音にさらされることになる。明るいときなっているヘビメタ騒音は、明るいときなっているヘビメタ騒音の雰囲気をつくる。暗いときに鳴っているヘビメタ騒音は、暗いときに鳴っている雰囲気をつくる。ようするに、朝鳴っていれば、ヘビメタ騒音が、朝の雰囲気を汚染してしまう。朝、自体の雰囲気というものを、けがしてしまう。朝の空間に、ヘビメタ騒音が、「くっついてしまう」。これを「憂鬱」とか「腹だたしい」と表現しても、表現しきれるものではない。他人には、まったくわからない。ヘビメタ騒音生活を数千日にわたって経験している他人以外、他人はわからない。ヘビメタ騒音生活を数千日にわたって経験している他人なんていない。いままでの人生のなかであったことが、一回もない。約一八〇日なら、ひとりだけあったことがある。けど、その人の場合は、約一八〇日で終わった。きちがい兄貴……その人の場合も兄貴だったんだけど……きちがいの程度が、うちのきちがい兄貴の程度よりも、弱かったんだろうと思う。ほかの家族も協力してくれたのかもしれない。ともかく、その人の場合は、約一八〇日で終わった。この人だって、ほかの人よりは理解してくれるよ。まったくそういう経験がない他人とは、ぜんぜんちがう反応だったよ。これ、ほんとうに、ぜんぜんちがうんだよね。まったく経験がない他者というのは、ひどいものだよ。これ、ほんとうに、ものすごいハンディになってしまうんだよな。そして、障害児教育の専門家が、俺のハンディは、ガン無視するというようなことになってしまう。ハンディにあれだけ敏感な人が、ヘビメタ騒音のハンディは、ガン無視する。まったく認めない。きちがい家族のハンディは、ガン無視する。まったく認めない。その人のなんとか障害だけが、ハンディだと思っている。きちがい家族のハンディがどういうものだか、まったくわかってない。そういう人に、ヘビメタ騒音のことを言っても、くそ凡人みたいな反応しかしない。この、くそ凡人というのは、わかったようなことを言ってくる人だ。ブラック社長じゃないのに、ブラック社長のようなことを言ってくる人だ。こいつら、ただ単に、自分がマウントしたいだけなのに、いいことをしたと思っている。たとえば、言霊、引き寄せ、アドラー、行動主義心理学、認知療法、プラグマティズムの影響をうけた、悪い俗説に、しばられている人たちなのである。こいつらが、洗脳されて、しばられている。すくなくても、プラグマティズム以降の思想は、悪魔教?の影響をうけている。これ、人をゴイムとして働かせるための、ゴイム教育なのだ。(まあ、これ、あんまり、書かないほうがいいよね。説得力がなくなるから。けど、いろいろなところで、洗脳されている。彼らがゴイム用につくった価値観の影響をうけている。彼らが、ゴイムにあたえたい内容の影響をうけている)
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ヘビメタ騒音をやられているときと、ヘビメタ騒音をやられたあとというのは、なにかひどい「弱点」をかかえているような状態なんだよ。「弱み」があるからなぁ。きちがいヘビメタが、大きな、大きな、「弱み」なんだよ。で、それをかくすとか、かくさないということで、俺が、俺のなかでもめたりする。かくすにしろ、かくさないにしろ、他人にとっては、不可解なことでしかなく、普通の他人は、そこを、つっつく。いまの社会、「無職」であればつっつかれる弱点を抱えているということになる。そんな感じで、立場が弱くなる。きちがいヘビメタというのは、そういう影響を、不可避的に、かつ、必然的にもたらすものだ。これ、きちがい兄貴がなにも考えないで自分の欲望に忠実になってやっていたことなんだよね。でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしているということを無視する。きちがいだから無視したら、現実になってしまうのである。きちがい兄貴の感覚だと「でかい音で鳴らしてない」ということになってしまう。「普通の音で鳴らしている」ということになってしまう。でかい音で鳴らしている」ということを認めたくなければ、ごく自然に、自分の聴覚をだまして、「普通の音で鳴らしている」と感じてしまう。耳が正常なら、絶対に、「でかい音だ」ということは、わかるんだよ。そういうところに、だましがある。そして、そういうだましをやる人がすくないんだよ。正常な人は、でかい音で鳴らせば、どれだけでかい音で鳴らしているから……でかい音で鳴らしているということを認めたくない……と思っても、でかい音で鳴らしているということを知っている。知覚している。感覚している。認知している。ところが、きちがい兄貴は、きちがいだから、自分が認めたくないことは、感覚器をだまして、認めないんだよ。そして、感覚器をだまして認めないようにしているということも、知覚、感覚、認知しないんだよ。だから、普通に、「でかい音で鳴らし切る」ことができる。でかい音で鳴らしているのだけど、本人が、でかい音で鳴らしていると思ってないのだから、どれだけでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしていると思ってない状態で鳴らすのである。それが毎日続く。そりゃ、そういう頭の構造がかわらないのだから、毎日そうする。殺されなければ、絶対の意地で鳴らして、絶対の意地で「でかい音で鳴らしている」という事実を認めない。本人が認めなければ、それでいいということになっているから、本人は、まったく「気にしないで」鳴らし続ける。
何度も言うけど、そういう家族がいる人が、少ないのである。だから、ぼくが、嘘を言っているように思われる。ぼくがへんなことを言っているように思われる。ぼくの交渉力がないように思われる。ぼくが、きちがい兄貴に言えないから……「やめてくれ」と言えないから、だめなんだと言ってくる。こいつら、みんな、きちがい兄貴の構造がわかってない。そして、やっかいなのは、きちがい兄貴の構造と、きちがい親父の構造がおなじだということだ。まあ、「の」重複を避けるために、なんの構造かについては言及してないけど、「脳みその構造」だ。
一家に、ふたり、そういう人間がいる。毎日、ふたりが、そういう頭を搭載して、くらしている。これがどういうことだかわかるか? わからないんだろな?
これが、ハンディじゃないと言えるのか? 言えない。
この、まのがれている連中……きちがい家族にやられてない人間が……「人のせいにしている」などと言うのだ。これも、この世で生きていて、「がまんならないこと」だったな。ほんとうに、「無理」なんだよ。あのうちで、ふたりの影響をうけずに暮らすなんてことは、無理なんだ。『影響をうけないぞ』と決心すれば、『影響をうけずにすむ』……こんなの、きちがい家族と一緒暮らしたことがないやつが、妄想で言っているだけのことだ。まったく、わかってないだけ。