2023年10月14日土曜日

「ご職業は?」

 無職の人は、「ご職業は?」と訊かれるのが、いやなんだよ。まあ、これは、無職属性をもっている人、一般に言えることだと思う。で、ヘビメタ騒音にやられながらも、世間の人とつきあっている状態というのは、それを五千倍、五万倍、五億倍、強めたような状態なんだよ。無職の人が、職業を聞かれる前の状態だ。相手は、職業を、当然、訊いてくるだろう。で、どういうふうに、こたえるかまっている状態だ。「訊かれたらいやだな」と思っている状態だ。そっちに話がいかなければいいな」「仕事の話にならなければいいな」と思っている状態だ。きちがいヘビメタにやられている状態というのは、そういう弱点がある状態なんだよ。あれだけ長い間続くと、まあ、いろいろとある。これ、ほんとう、生きていて、いやだったことだ。けど、これは、ほかの人にはないことなのである。どうしてかというと、ほかの人にはきちがい兄貴がおらず、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にさらされたことがないからだ。そういう、毎日がないからだ。連続した毎日がないからだ。「休みなく」というのが、本当にこたえる。土曜日、日曜日、なんかの休みの日、きちがいヘビメタが、数時間増えてしまう。倍の長さ聞かされてしまう。平日の倍の長さ、ヘビメタ騒音にさらされることになる。明るいときなっているヘビメタ騒音は、明るいときなっているヘビメタ騒音の雰囲気をつくる。暗いときに鳴っているヘビメタ騒音は、暗いときに鳴っている雰囲気をつくる。ようするに、朝鳴っていれば、ヘビメタ騒音が、朝の雰囲気を汚染してしまう。朝、自体の雰囲気というものを、けがしてしまう。朝の空間に、ヘビメタ騒音が、「くっついてしまう」。これを「憂鬱」とか「腹だたしい」と表現しても、表現しきれるものではない。他人には、まったくわからない。ヘビメタ騒音生活を数千日にわたって経験している他人以外、他人はわからない。ヘビメタ騒音生活を数千日にわたって経験している他人なんていない。いままでの人生のなかであったことが、一回もない。約一八〇日なら、ひとりだけあったことがある。けど、その人の場合は、約一八〇日で終わった。きちがい兄貴……その人の場合も兄貴だったんだけど……きちがいの程度が、うちのきちがい兄貴の程度よりも、弱かったんだろうと思う。ほかの家族も協力してくれたのかもしれない。ともかく、その人の場合は、約一八〇日で終わった。この人だって、ほかの人よりは理解してくれるよ。まったくそういう経験がない他人とは、ぜんぜんちがう反応だったよ。これ、ほんとうに、ぜんぜんちがうんだよね。まったく経験がない他者というのは、ひどいものだよ。これ、ほんとうに、ものすごいハンディになってしまうんだよな。そして、障害児教育の専門家が、俺のハンディは、ガン無視するというようなことになってしまう。ハンディにあれだけ敏感な人が、ヘビメタ騒音のハンディは、ガン無視する。まったく認めない。きちがい家族のハンディは、ガン無視する。まったく認めない。その人のなんとか障害だけが、ハンディだと思っている。きちがい家族のハンディがどういうものだか、まったくわかってない。そういう人に、ヘビメタ騒音のことを言っても、くそ凡人みたいな反応しかしない。この、くそ凡人というのは、わかったようなことを言ってくる人だ。ブラック社長じゃないのに、ブラック社長のようなことを言ってくる人だ。こいつら、ただ単に、自分がマウントしたいだけなのに、いいことをしたと思っている。たとえば、言霊、引き寄せ、アドラー、行動主義心理学、認知療法、プラグマティズムの影響をうけた、悪い俗説に、しばられている人たちなのである。こいつらが、洗脳されて、しばられている。すくなくても、プラグマティズム以降の思想は、悪魔教?の影響をうけている。これ、人をゴイムとして働かせるための、ゴイム教育なのだ。(まあ、これ、あんまり、書かないほうがいいよね。説得力がなくなるから。けど、いろいろなところで、洗脳されている。彼らがゴイム用につくった価値観の影響をうけている。彼らが、ゴイムにあたえたい内容の影響をうけている)

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ヘビメタ騒音をやられているときと、ヘビメタ騒音をやられたあとというのは、なにかひどい「弱点」をかかえているような状態なんだよ。「弱み」があるからなぁ。きちがいヘビメタが、大きな、大きな、「弱み」なんだよ。で、それをかくすとか、かくさないということで、俺が、俺のなかでもめたりする。かくすにしろ、かくさないにしろ、他人にとっては、不可解なことでしかなく、普通の他人は、そこを、つっつく。いまの社会、「無職」であればつっつかれる弱点を抱えているということになる。そんな感じで、立場が弱くなる。きちがいヘビメタというのは、そういう影響を、不可避的に、かつ、必然的にもたらすものだ。これ、きちがい兄貴がなにも考えないで自分の欲望に忠実になってやっていたことなんだよね。でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしているということを無視する。きちがいだから無視したら、現実になってしまうのである。きちがい兄貴の感覚だと「でかい音で鳴らしてない」ということになってしまう。「普通の音で鳴らしている」ということになってしまう。でかい音で鳴らしている」ということを認めたくなければ、ごく自然に、自分の聴覚をだまして、「普通の音で鳴らしている」と感じてしまう。耳が正常なら、絶対に、「でかい音だ」ということは、わかるんだよ。そういうところに、だましがある。そして、そういうだましをやる人がすくないんだよ。正常な人は、でかい音で鳴らせば、どれだけでかい音で鳴らしているから……でかい音で鳴らしているということを認めたくない……と思っても、でかい音で鳴らしているということを知っている。知覚している。感覚している。認知している。ところが、きちがい兄貴は、きちがいだから、自分が認めたくないことは、感覚器をだまして、認めないんだよ。そして、感覚器をだまして認めないようにしているということも、知覚、感覚、認知しないんだよ。だから、普通に、「でかい音で鳴らし切る」ことができる。でかい音で鳴らしているのだけど、本人が、でかい音で鳴らしていると思ってないのだから、どれだけでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしていると思ってない状態で鳴らすのである。それが毎日続く。そりゃ、そういう頭の構造がかわらないのだから、毎日そうする。殺されなければ、絶対の意地で鳴らして、絶対の意地で「でかい音で鳴らしている」という事実を認めない。本人が認めなければ、それでいいということになっているから、本人は、まったく「気にしないで」鳴らし続ける。

何度も言うけど、そういう家族がいる人が、少ないのである。だから、ぼくが、嘘を言っているように思われる。ぼくがへんなことを言っているように思われる。ぼくの交渉力がないように思われる。ぼくが、きちがい兄貴に言えないから……「やめてくれ」と言えないから、だめなんだと言ってくる。こいつら、みんな、きちがい兄貴の構造がわかってない。そして、やっかいなのは、きちがい兄貴の構造と、きちがい親父の構造がおなじだということだ。まあ、「の」重複を避けるために、なんの構造かについては言及してないけど、「脳みその構造」だ。

一家に、ふたり、そういう人間がいる。毎日、ふたりが、そういう頭を搭載して、くらしている。これがどういうことだかわかるか? わからないんだろな?

これが、ハンディじゃないと言えるのか? 言えない。

この、まのがれている連中……きちがい家族にやられてない人間が……「人のせいにしている」などと言うのだ。これも、この世で生きていて、「がまんならないこと」だったな。ほんとうに、「無理」なんだよ。あのうちで、ふたりの影響をうけずに暮らすなんてことは、無理なんだ。『影響をうけないぞ』と決心すれば、『影響をうけずにすむ』……こんなの、きちがい家族と一緒暮らしたことがないやつが、妄想で言っているだけのことだ。まったく、わかってないだけ。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。