ヘビメタ騒音に蹂躙されていいわけがない。兄貴にヘビメタ騒音で蹂躙されていいわけがない。毎日、蹂躙されていいわけがない。これ、ほんとうに、一日だけでも、被害がでかい。普通のうちでは、絶対に、何時間も鳴らない音だ。ぜんぜんちがう。音圧がちがう。床がおなじ床だから、振動もくる。スピーカーの位置が近いから、やられている感じがものすごくする。あの中で、眠れるわけがないだろ。あの中で、勉強できるわけがないだろ。ほかのやつは、きちがい兄貴の性格も、きちがい兄貴がやっていることもわからないまま、俺を批判しやがる。
毎日がパニックだ。いいわけがない。
過去? 関係あるよ。おおありだよ。やられてないやつが、勝手に、過小評価して、きちがい的なことを言いやがって……。むりなことを言いやがって……。きちがい兄貴が、きちがい的な意地をとおすと、俺が、よそのやつから、誤解されて、ダメ人間にされてしまう。そのよそのやつらというのは、きちがい兄貴の騒音を一日だって経験したことがないやつらだ。
そいつは、そいつらで、普通のうちで育ったから、きちがい家族のことがまったくわかってない。まったくわかってないのに、「わかったつもり」で助言する。説教をする。こいつらも、ゆるせない。
いまだに、朝、起きると、鳴っている感じしかしない。これは、夏休みの朝の雰囲気だ」とか、「これは、冬休みの朝の雰囲気だ」とか「これは、普通の日の朝の雰囲気だ」とか感じる。
どれだけ言っても、きちがい兄貴が、最大限の音で、まったく俺のことを気にしないで鳴らしていた。きちがいだから、自分がやりたい分だけは、絶対の意地でやるのだ。一秒だってゆずらないよ。けど、きちがい親父とおなじで、「ゆずっやった」と思っている。頭がおかしいから、そういうことができる。がめつくやりきっているのに、一秒だって、本当にはゆずってないのに、「ゆずってやったゆずってやった」とさわぐことができる。そのあと、入試前日なのに、ずっと、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らすことができる。きちがいだからできることなんだぞ。きちがいだから……。
足のひっぱられ方が並じゃない。ほんとうに、どうやったってむりなのである。ところが、兄貴のようきちがい家族がいないやつが、「むりじゃない」と言いやがる。これ自体がどうかしている。けど、きちがい兄貴にやられて、俺の社会的な地位や、能力がさがった状態だと、そうやって、説教をするやつが、次々にあらわれる状態になってしまうのである。どうしてかというと、「よわっている」からだ。「よわっているやつには、無理難題をえらそうに言う」というのが、この世の凡人がやることだ。一般人は、みんな、そうする。どうして、弱っているかというと、ヘビメタ騒音で弱っているのだ。ヘビメタ騒音で弱っている。ヘビメタ騒音で「できなくなっている」。これを理解しないやつが、ヘビメタ騒音が鳴ってたとしてもできるという前提で、ものを言ってくる。けど、そいつは、一日だって、きちがい家族と暮らしたことがないし、一日だって、きちがいの騒音にさられたわけじゃない。ちがうのである。ところが、「自分だって苦労した」といひとことで、「おなじだ」「同等の苦労をした」ということにしてしまうのである。きちがい家族がいないのに、きちがい家族がもたらす困難を知っているという前提でものを言ってくる。そいつには、きちがい家族がひとりもいないのに。きちがいが、音の出るものにこだわったら、ものすごいこだわりでやるんだよ。普通だったら気にすることを、まったく気にしないでやるんだよ。普通だったら一回言われればわかることが、何万回言われてもわからない状態でやるんだよ。本人は、まったく悪いことをしているつもりがないんだよ。きちがいだからだ。きちがいにやられると、凡人にバカにされる。凡人はみんな、きちがいと一緒に住んだことがないから、きちがいがなんなのか、わかってない。きちがいの意地がわかってない。きちがいの意地が発揮されたらどんなことになるかわかってない。それが日常なんだぞ。できなくなるに決まっているだろ。弱くなる気に決まっている多わる。ところが、「そんなことはない」のである。そして、「影響をうけないと言えばうけないですむ」というような魔法的解決法を口にする。こいつらも、やられた人の現実を無視している。よわっている人の現実を無視している。そいつらが「現実的になったほうがいい」と言ってくるんだぜ。こんなの、地獄だ。