自分がニコニコすることで、相手の「頭の構造」がかわるかというと、かわらない。たとえば、AさんとBさんがいたとする。
Aさんは、Bさんの父親だ。Aさんは、頭がおかしいので、幼い子供であるBさんを、虐待する。Bさんを見かけたら、どなり、なぐらないと気がすまない状態になってしまうのだ。
頭がおかしいからそういう反応をする。頭がおかしいから、幼い子供であるBさんを見かけたときは、常にそういう反応をする。Aさんにとっては、Bさんは、自分の感情のはけ口で、人間サンドバックなのだ。
Aさんにとっては、Bさんは、安心して、自分の怒りをぶつけることができる、便利な人間なのだ。
あるとき、Bさんが、ニコニコしたとする。
Aさんの態度がかわって、虐待をやめるか? そんなことはないんだよ。どうしてかというと、Aさんには、Aさんの過去があり、Aさんの脳みそは、Aさんの脳みそだからだ。Bさんが、どれだけニコニコしても、Aさんの脳みそがかわらない。脳みその回路がかわらない。
なので、Bさんは、自分がニコニコすることで、Aさんの態度をかえることができない。なので、「どんな状態だって、ニコニコすればいいことがある」という命題は成り立たない。
『偽』だ。
「どんな条件だって」ということを、ニコニコ教の人は、簡単に言う。簡単に言うけど、ニコニコ教の人が想像できる範囲内の条件しか考えてない。そのニコニコ教の人が想像している範囲外のことは、考えてないのである。
なので、「きちがい的な父親という条件」のもとに生まれた場合のことは、そもそも、想像してないのである。そういう限定的な範囲……自分が想像できる範囲のなかで……「どんな条件だって」と言っているにすぎない。
きちがい的父親が、きちがい的な脳みそをもっているから、人間サンドバックとして、自分の感情を、自分の子供に向けて爆発させている。そのとき、子供側の人間がニコニコしたら、「なに、わらっているんだ!!」とどなりちらして、なぐってくるに決まっているのだ。ニコニコしたことで……悪いことが発生してしまう。
「どんな状態だって、ニコニコすればいいことがある」と言っている人は、こういうことを、完全に無視している。無視しているから、逆に「どんな状態だって」と言える。けど、現実はそうじゃない。悪い状態なら、ニコニコしていることで、悪い出来事が発生する。これが現実だ。現実だ。現実だ。
現実的ではないのは、そういう提案をするほうなのに、そういう提案をするほうが「現実を見ろ」と相手に言う場合がある。多い。これも、「手」なんだよ。相手の状態に無頓着で、相手の状態を理解していないから、そういうことが、言える。
「どんな状態だって、ニコニコすればいいことがある」と「言霊思考」と「引き寄せ思考」と「現実を見ろ」と「受け止め方の問題だ」というのは、系をなしている。「どんな状態だって、ニコニコすればいいことがある」と言いたい人は、ほかのことも言いたいという傾向がある。ひとつのことを信じている人は、ほかのことも信じている。
「現実を見ろ」とか「目の前の現実に集中すればいい」というのは、ほんとうに、勘違い発言だ。「どんな状態だって、ニコニコすればいいことがある」も、勘違い発言。この勘違い発言が、どれだけ、不愉快な印象をあたえるか、ぜんぜん、こいつらは考えてない。『条件が悪い人』がこの言葉を言われて、どれだけ不愉快な気持になるか、ぜんぜんわかってない。