「キミじゃなくて、彼だよ」のときもそうだけど、ひとのこころを傷つけないように気をつかって、なんか、誤解されている。ひとのこころを傷つけないように気をつかいすぎなんだよなぁ。気にしないで、最初に思い付いた言葉を言えばよかったという感じがする。
あとは、バイトで働いていたときに、取引先にも、いやなやつがいた。俺に対しては、気をつかってないよなぁ。
もともと、きちがい親父が、きちがい的な理由であれて、常に怒り狂っていたのだけど、きちがい親父が、きちがい的な理由で怒り狂っているとき、ほんとうに、こっちはなにもわるいことをしてないのである。けど、きちがい親父は、きちがいなので、怒りをぶつけてきた。完全な、きちがい的な言いがかり。小さなことで怒り狂っていたわけではなくて、完全に、頭がおかしい理由で怒り狂っていたのだ。そして、これが、さらに頭がおかしいとしか言えないことなのだけど、きちがい親父は、そのとき、「傷ついていた」のである。これ、本当に言いようがないよな。たとえば、こどもが、病気で、寝ているときに「なんで、そんなところで寝てるんだ」と怒り狂ったとする。これ、「風邪をひいて寝ている」と、おかあさんが、説明したあと、そういうふうに怒り狂っているんだぞ。しかも、寝ていてもおかしくない場所で寝ているんだぞ。こどもが、歩いていると「なんだ、その歩き方は」と言って、怒鳴り込んでくるんだぞ。おかしな歩き方をしてないのである。ところが、きちがい親父が怒り狂ってきて、へんな歩き方をおしつけるから、歩き方がおかしくなってしまったのである。こどもが、カレーを食べるとき、コップで水を飲んだら「なんだ!コップで水なんて飲んで!!」と怒り狂うんだぞ。別に、コップで水を飲んだらいけない理由なんてないんだよ。ないけど、きちがい親父が、怒り狂う。この爆発が、またひどいのである。普通の人だと、いきなり、ぶんなぐられても、こんなに怒らない。普通の人なら、二〇回ぐらい、ものすごく汚い言葉でののしられても、こんなに怒らない。ほんとうに、発狂している。体がまっかっかなんだよ。脂汗をかいて、からだじゅう、まっかっかにして、怒り狂う。で、その爆発が終わったら、また、別のことで怒り狂うのである。たとえば、「なんだ、その足は!!」と言って、まっかっかになって怒り狂うのである。頭がおかしい。普通の足なのに、普通に座っているのに、なんだ、その足は!!」と言って、まっかっかになって、爆発する。だから、親父がいると、親父がいるあいだじゅう、きちがい親父がなんらかのことで、こどもや妻にむかって、絶叫して怒り狂っているということになってしまうのである。これが、うちの「お茶の間」。これが、うちの、「居間」のすがた。俺が小さいときなんて、毎日毎日、毎時間毎時間、つねに!!!!そうだったんだぞ。もちろん、きちがい兄貴だって、やられているよ。最初の、風邪をひいて寝ているときに「なんだ!!そんなところ寝て」と怒り狂われたのは、兄貴だ。きちがい親父が帰ってきたら、ずっとこの調子なのである。「そんなことで、起こらないで」と言えばいいと考える人もいるかもしれない。「そんなことで、起こらないで」と言ったら、「くちごたえをした」と怒鳴って、ぶんなぐってくる。そして、これがおかしいことなんだけど、親父の場合、ぶんなぐったことだけは、反省するのである。けど、そのまえの、きちがい行為は反省しないのである。これ、ほかの人にはわかりにくいことなんだよな。暴力があるほうがひどいと思うだろ。ほかの人はそうなんだよ。ぶたれた数で、親のひどさを推し量ろうとする。けど、ちがうんだよ。俺が、問題だと思っていたのは、きちがい親父が、怒り狂うことなんだよ。もちろん、ぶたれるのはいやだけど、きちがい親父が、親父の寝床にもぐりこんで、ぶったことだけ、反省して、それ以前のきちがい行為についてはまったく反省しないというのが、もっと、いやだったんだよ。「くちごたえ」しなければ、怒り狂っているだけで、ぶってこないんだよ。だから、暴力の回数が少ない。だったら、暴力の回数が多い親よりも、いい親なのか? ちがうと思おんだよね。けど、ほかの人は、暴力回数で、ひどい親か、それほどひどい親ではないのか、決めるところがある。ぼくは、小さいとき、そういう人たちの、反応が、いやだった。「それ、ちがうだろ」と思っていたのだ。反省するべきは、きちがい的な理由で、怒り狂っていることなんだよ。回数? きちがい的な理由で怒り狂った回数は、もう、無限大だ。いれば、ずっと怒り狂っていたからな。で、きちがい親父は、怒り狂うだけの理由があると思っていたんだ。自分は、相手(こどもや妻)に、それ相応のことをされたから、怒っていると思っていたのだ。こどもや妻が、自分の気持ちを傷つけたという理由で怒り狂っていたのだ。でっ、これが、普通の人にはわからないことだと思うけど、実際に、傷ついていたのだ。頭がおかしいから、そういう反応なんだよ。「くちごたえをした!! くちごたえをしたら、ぶんなぐられた!! おんだされた!!おんだされた!!」とものすごい顔で、言って、自分の寝床に歩いて行って、布団にもぐりこんだ。それで、なぐったことだけ、反省するのである。頭がおかしい。俺が反省してほしいのは、それまでのやりとりなんだよ。きちがい的な理由で怒り狂うほうが、俺にとっては、ひどいことなんだよ。これ、ほかの人にはわからないのだろうな。常日頃から、きちがい的な理由で怒り狂うということのほうが、なぐることより、ひどいことなのである。「くちごたえをした」から、なぐる。多少は理解できる。けど、きちがい親父が、きちがい的な理由で怒っているとき、きちがい的な理由が、まったくわからないのである。怒る理由としてまったくわからないのである。これが、どういうことなのか、ほかの人にはわからない。そして、きちがい親父にとって、くちごたえをされたとき、なぐることは悪いことだけど、なんの理由もないのに、怒り狂うことは、別にいいことだったのである。悪いことじゃなかったのである。おやじにとって、バランスがとれていたことなのである。ほんとうは、怒る理由なんてないのだけど、感情的にバランスがとれていたのである。これは、相手が、そういうことをしたから、それに対応した怒りをぶつけていると「思っている」ということだ。本人にとっても、なんで、それだけ怒りがわいてくるのかわからないことなのだけど、そういうことにかんしては、本人はまったく無頓着で、不思議に思うことがないのである。相手が自分にしたことは、自分の怒りぐあいと、バランスがとれていると思っていたのである。きちがい親父は、怒るだけのことを、相手にやられと感じていたのである。そして、自分の怒りに関して、そういうことで納得していて、不思議に思わなかった。「どうして、俺は理由のないことで怒っているんだ」と言うような気持ちや思考が、まったくなかったのである。まったくそういう思考がしょうじなかった。これが問題なのである。こういう感じ方のほうが、頭にくる。くちごたえをされたから、思わず、ぶんなぐったというのは、理由としてはわかるのである。きちがい的な理由で怒り狂っているときは、本当に理由がわからない。こっちのほうがひどいことなんだよ。
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たとえばの話だけど、「過去は関係がない」と言っている人に、俺が、親父とおなじように、きちがい的な理由で、怒りをぶつけたら、「過去は関係がない」と言っている人はどう思うか? 過去は関係がないなら、関係がないのである。けど、「おまえはなんだ!」と怒りをあらわにすると思う。「いちゃもんをつけてくるな」と怒ると思う。「過去は関係がない」などと、言っておきながら、過去の出来事に、感情的に反応する。
「過去は関係がない」のほかに「過去は、現在に影響をあたえない」とか「過去は、現在の状態に影響をあたえない」と言うようなことを言う人たちがいる。この人たちは、説教をするときは、そういう前提にたって説教をするのである。けど、その前提がまちがっている。完全にまちがっている。この人たちが、日常生活のなかで、過去の出来事にどういうふうに反応しているかということを考えれば、一目瞭然である。で、不幸なことに、きちがい親父も、過去を無視しているのである。「やったってやってない」ことになっているのである。「過去の無視」ということでは、きちがい親父も、説教をする人たちもおなじなのである。この説教をする人たちは、普通の親に育てられた人たちで、きちがい的な親に育てられた人たちではないのだ。きちがい的な理由で、毎日、何十回も、恫喝された人たちではないのだ。だから、この人たちにとってみれば、「そういう過去がない」のだ。自分にはなかったので、影響の大きさがわからないだけだ。けど、「かっこうをつけて」「過去は関係がない」とえらそうなことを言ってしまう。こういう言葉によっている。自分がなにか真実を言い当てたような気分になっている。けど、それは、宗教的なトリックだ。社会全体が、言ってみれば、悪魔教の影響をうけている。条件を無視して、過去の出来事を無視して、「過去は関係がない」というような前提にたって物事を考えるということ自体が、悪魔教的な文化の影響をうけている。これは、過去の出来事の影響をうけている。たとえば、ビジネス書を読んだり、アニメを見たり、ドラマを見たり、だれかの講演を聴くといった、過去の出来事の影響をうけている。
とりあえず、精神世界の人といってしまうけど、精神世界の人は、過去の出来事を無視するような発言が多いけど、実生活のなかでは、ちゃんと、過去の出来事に人として対応をしている。きちがい的な理由で、怒り狂われたら「なんだこいつ!!」と不愉快な気持になるのである。どうして、不愉快な気持になるかというと、人間の構造が成り立っていて、さらに、過去の経験があるからだ。「過去は関係がない」「過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえてない」と、考えてないような反応をする。ごく自然にそういう反応をする。