たとえばの話だけど、本当のつらさを経験したことがある、名前だけ店長みたいな人が「つらいと言うからつらくなる。つらくないと言えばつらくない。楽だと言えば楽になる」と言うと思う?
わかってないから言うんでしょ。名前だけ店長の場合は、ブラック社長が、名前だけ店長がつらいと思う状態をつくっている。そういう人が「つらいと言うからつらなくなる」と言うなんて、ひどくないか?
これがひどいことだと思わないセンスというのはなんなんだ?
ブラック社長が犯人なのに、犯人が説教をしている。ほんとうに、説教犯人。説教強盗みたいなもんだな。まあ、説教強盗よりもはるかに悪質だ。
ちなみに、説教強盗というのは、ものを盗むために家屋に浸入したのに、その家屋の人たちに、「戸締りが悪いから強盗に入られる」というようなことを説教する強盗のことだ。
そりゃ、一五年間も毎日、二時間しか眠れないような状態で働いていたら、だれだって、人間なら、「つらい」と思うだろ。こっちのほうが法則性がある。
ところが、そういう状態を無視して、「つらい」と言ったからつらくなるというのだ。ここでも、言霊主義者は、因果関係を逆転させている。
因果関係を逆転させると、なにか真理を言ったような気持ちになるような人たちがいるのだ。
『わかったような雰囲気』『さとったような雰囲気』を出せると思っている。幼稚。幼稚。
すでに、つらいことが十数年間、毎日続いているから「限界だ」「つらい」「無理だ」と「こっち」は言っているわけだ。
ところが、「あっち」は「そういうネガティブワードを使うから、ネガティブな現実が引き寄せられる」と言うのだ。あるいは、「ネガティブな現実をネガティブなワードを使う人がつくっている」と言うのだ。
いやー。あほですね。
そうやって、弱い立場で、切羽詰まって困っている人を、さらにこまらせる。ぼくは、カルマを信じていないけど、カルマうんぬんというのであれば、まさにカルマをつくっている。
睡眠時間が二時間になってしまうような状態で暮らしているから、つらいのに、「つらいと言うからつらくなる」と言うのだ。こういう、くそ幼稚なトリック。どうして、こういうくそ幼稚なトリックを「真理だ」「真実だ」と思ってしまうのか?
言う前に、つらい状態が成り立っているのである。しかも、長い間、成り立っている。どうして、こういうことを無視してしまうのか。「言った」という表面的な結果に注目して、「言った」ことが原因だと考えてしまうのか?
ほんとうに、幼稚。くそ幼稚。
本当の理由を無視され、きちがい的な理由をつけられ、「だからこうなんだ」と言われていい気持ちになると思うか?
「くそふざけんな」という気持になるんだよ。
まちがった理由をつけて、人をせめるな。これ、本人が悦に浸っているからわからないと思うけど、人をせめている。しかも、無実の人をせめている。こいつらは、状態をつくりだしている真犯人ついては、なにも言及しない。
「言ったから」というのは、その人が言ったからということだろ。
その人というのは、ヘビメタ騒音のについてなら、ぼく、長時間労働についてなら、名前だけ店長だ。こいつらは、「その人」のせいにしている。「その人」が言うから悪いんだと言っているのだ。こいつらは、なにもわかってない。
こういう妄想的な思考がはやっているのには、理由がある。はっきり言えば、こういう思考は、悪魔側が用意した思考なのである。奴隷の道徳なのである。だれかAさんが、だれかBさんを傷つけるための道具なのである。
こいつらは、妄想的なことを言って、その人がつらい状態で暮らすことを推奨する。そして、そういうことにぜんぜん気がついてない。だいたい、「妄想的なこと」であって、現実的にはまったく意味がないことを言っているということに気がつかない。こんなの、支配者側から見て、奴隷を、傷つけ合わせるための思想だ。なんで、わからないんだ?
ぼくは、奴隷じゃないけど、こういう思想にとりつかれているやつは奴隷だ。そして、「その人」が奴隷らしく、くるしむことをのぞんでいるのだ。「その人が言うからダメなんだ」と罪をきせているのである。無実の罪をきせて、せめている。
「楽だと言えば楽になる」……あほなことを言うな。
二時間しか眠れないような状態で「楽だ」と言っても楽にはならない。
こういう、あほなことを言って、「いいことを言った」つもりになっている。「有効な助言をした」つもりになっている。けど、こいつらは、「その人」を傷つけているだけだ。有効な助言じゃなくて、非現実的で有害な助言だ。「その人」がくるしむ時間を長引かせようとしている。「楽だ」ともうろうとした頭で言って、くるしむ時間を増やそうとしているではないか。くるしむ日数を増やそうとしているではないか。くるしい状態で暮らすことを、長引かせようとしているじゃないか。