ほかの人が考えているよりも、ヘビメタ騒音の影響はでかい。やはり、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、ずっと鳴らしているわけだから、影響をうける。一倍速の時間というのは、普通の時間だ。みんな、現実的には一倍速の時間のなかで暮らしている。一倍速の時間のなかで鳴っている「実際の、きちがい兄貴が鳴らしたヘビメタ騒音」というものを、ほかの人たちは、ぼくの部屋で聞いていない。ぼくのうちで、聞いていない。なので、耳をふさいでも、がんがん聞こえてくる、空間がわからない。時間の経過を考えると、時空間ということになるかもしれいないけど、実際の、鳴っている空間は、空間自体がひどいものなのである。「無視」できない。影響がある。びんびん、感じる。がんがん鳴っている。脳みそを直接、がんがんたたかれているような感じだ。無視できない。で、鳴っている時間だけではなくて、鳴ってない時間が問題なのだ。すぐに鳴りやむ騒音を聞いて暮らしている人は、鳴ってない時間の影響のでかさがわからない。何度も言うけど、うちでだけ鳴っている騒音なのだ。となりの部屋に住んでいるのは、ぼくだけなのだ。舌の部屋と、となりの部屋では、音の伝わり方がちがう。床が、おなじだから、床の振動もある。この床の振動が、「圧力」をうみだしているのかもしれない。ともかく、ほんとうは、一秒だって、たえられないような音で鳴っている。
みんな、自分のことではないから、「気にしなければいい」とか「鳴り終わったら関係がない」というけど、気にしないということはできないし……事実上どれだけがんばってもできないし……鳴り終わったあの影響もでかい。鳴り終わったあとの影響を無視している人が言うことは、全部まちがっている。けど、「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だってつらい思いをした」と、そいつは言うのである。そいつが、長年サラリーマン生活をしているのであれば、長年サラリーマン生活ができるぐらいのつらさなんだよ! そいつだって、一一歳から一八歳にかけて、おなじように鳴らされれば、通勤通学ができないからだになるんだよ。もちろん、ヘビメタではなくて、そいつがこの世で一番きらいな音が鳴っているという前提が成り立っているものとする。だれだって、苦手な音はある。ヘビメタが好きなやつだって、苦手な音がある。その音が、あのしつこさで、ずっとずっと鳴っているということがどういう意味をもっているのか、経験すればわかる。けど、その人の近くには、きちがい家族がいない。だから、わからない。きちがいがやるとなると、ちがうのだ。きちがいがやる場合と普通の人がやる場合は、あきらかに、ちがう。ちがうんだけど、きちがい的な家族がいないので、わからないのだ。きちがい的な家族のやり方がわからない。実際の生活のなかで、きちがい家族と一緒に暮らした経験がないのでわからない。わからないということすら、感覚的にわからないという意味で、わからない。ぜーーぜん、ちがう。どれだけ、ぜーんぜんちがうと言っても、わからない。わからないということは、わかる。その人がわかってないということは、ぼくはわかる。どうしてかというと、言っていることで判断できるのだ。わかっている人と、わかってない人、はっきりと区別がつく。わかっている人は、そんなことは言わないということを、得意げに語りだすやつが、わかってない人だ。そういうことを言ってしまうということ自体が、「わかってない」ということを明示しているのだよ。