「個人を中心とした場合の比較優位と比較劣位」のもっとも明確なものは、「個人を中心とした場合の上下関係」だ。
上下関係がないような場合でも、比較優位と比較劣位は成り立っている。
喫茶店で、名前だけ店と常識的な人とあっている場合、名前だけ店長は、たいへん大きな悩みを抱えているので、比較劣位なのである。そして、悩みを抱えていると言っても、名前だけ店長よりも軽い悩みをもっている常識的な人は、名前だけ店長よりも「こまってない」ので、比較優位なのである。
一般的に言って、こまっているほうが比較劣位。こまってないほうが比較優位。
一般的に言って、弱っている人は比較劣位、弱ってない人は比較優位だ。
まあ、名前だけ店長は、だれかと喫茶店で話すような時間的な余裕はないだろうから、架空の話だ。まあ、名前だけ店長が会社をやめて、精神科に通いながら、職を探しているような状態を考えるとする。
その場合、名前だけ店長は、無職であるわけ。
話し相手が、有職かあるいは、定年退職者・主婦といった無職性が低い無職である場合は、名前だけ店長が、比較劣位。話し相手が比較優位ということになる。相談するほうと、相談されるほうでは、相談するほうが比較劣位、相談されるほうが比較優位だ。
まあ、こまっている人は、一般的な人に対して比較劣位なんだよ。上下関係はないけど、比較優位と比較劣位はある。