ヘビメタ騒音で、通勤できなくなったということを言ったとき、「過去なんて関係がない」と言ったやつがいる。そいつが、いまは、無職なのだ。定年退職をまたずに、退職して無職。自分は、職場でいやなことがあったから、働かなくていいのだ。自分は、老化して、むかしのようには働けなくなったので、働かなくてもよいのだ。そういう、思考が成り立っている。こいつは、バカだ。大バカ者だ。自己チューー。こいつにとって、ヘビメタ騒音は、働けない理由ではないのだ。その大バカ者は、「過去なんて関係がない」と言ったあと「人間は働くべきだ」と言ったのだ。こいつは、大バカ者だ。自己チューー。一〇〇%の人が老化するけど、一〇〇%の人が、ヘビメタ騒音相当騒音で睡眠障害になり、生活体力障害になる。老化はからだのしみでそうなる。ヘビメタ騒音生活にしても、一〇〇%人が、通勤できなくなる。それは、からだのしくみでそうなる。ところが、こいつは、自分がヘビメタ騒音相当生活を経験してないので、からだが、ヘビメタ騒音相当生活によって、変化をうけてない。自分が変化をうけてなければ「そんなのは、関係がない」と言い出すのだ。自分のからだが老化して、思うように動けなくなった場合は、自分が変化をうけたので、変化は実感できるものなのである。けど、ヘビメタ騒音生活は、自分が経験したものではないので、変化が実感できないものなのである。「自分が」実感できなければ、「それ」の効果はないのである。相手が言っているだけななのである。そういう、底の浅い解釈しかできないのである。そういう底の浅い解釈しか出ないやつが、えらそうなことを言ってくる。説教をしてくる。さとったようなつもりで、さとったようなことを言ってくる。そういう世界だ。これ、そういう世界なんだよ。
たとえば、自分は老化したので働けないと思っている人がいたとしよう。としをとったので、体力が落ちて、むかしのようには動けなくなったので、働けないと思っているということだ。実際に、からだがしんどくて、つかれがたまりやすく、動くと痛い部分もあるので、働くのはむりだと判断したのだ。その判断は、自分のからだを知っている人の判断だ。しかし、「老化なんて関係がない」「人間は働くべきだ」と言ってくるやつがいたらどう感じるかということだ。さらに、「過去なんて関係がない」と言ってくるやつがいたらどう感じかるかだ。別に、「自分ば老化したので働けない」と思っている人だって、一瞬にして老化たわけではない。長い年月をかけて、老化した。時系列的な変化があるのである。ヘビメタ騒音生活も十年以上続いたので、時系列的な変化がある。からだに、時系列的な変化が起こる。その、時系列的な変化を「過去は関係がない」というひとことで否定してしまってもいいものか? そして、「過去は関係がない」という言葉の意味は、ほんとうに正しいものかなの?
はっきり言うと 「過去は関係がない」という言葉の意味は正しくない。過去が関係ないわけないだろ。自分が老化した場合は、その老化が一瞬して起こって、過去は関係がないと思うのか? ここでも、自己中心的な性格が発揮されている。自己中心的な性格だから、相手のことに関しては、過去を無視して、自分のことに関しては、過去を無視しないというような態度がうまれる。これ、自己チューだからわかってないだけなんだよ。
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「過去は関係がない」と人に言ってしまう人は、自己チュー。自分のことに関しては、過去の出来事を重視し、時系列的な変化を重視するのである。しかし、自分のことではなくて、ほかの人のことになると、「過去は関係がない」と言ってしまう。ほかの人の過去は、自分の過去ではないので、安心して、無視できるのだ。ほかの人にだって、ほかの人の過去がある。まあ、そういうことを言えば、「そんなのはわかっている」と「過去は関係がない」とほかの人に言いがちな人も、言うだろう。けど、わかってないのである。自己チューだからわかってない。
「過去は関係がない」とほかの人に言う人は、「過去は関係がないと言っている、俺、かっこえーー」と思って、うぬぼれている自己チューなのである。「さとったようなこと」を言っているわけだけど、ぜんぜんさとってない。自己チューだから、ほかの人のことに関しては、的がはずれた発言をしているだけ。
「過去は関係がない」と言って、こまっている人の現実を吹き飛ばしたような気持ちになっているのだろうけど、こまっている人の現実というのは、その言葉では、かわらない。吹き飛ばしてやったつもりになっているだけ。ほんとうに、自己チュー。