めちゃくちゃに、言いにくいことなのだけど、正しそうに聞こえることが、結果的には、人を追い込んでいる。
実際の、不幸量、実際の不満量には、差があるのに、その差を無視して、同じ量の不幸量、同じ量の不満量というものを想定して、不満を言いやすい性格というものをつくりだし、「不満を言いやすい性格の人は、不幸である」というようなことを言うのである。
そして、「不満を言うから、不幸になる」とも、言うのである。こういうことを言う人が多ければ、差において、比較劣位になる人が、自殺に追い込まれる。
もちろん、「不満を言いやすい性格の人は、不幸である」とか「不満を言うから、不幸になる」とかと言う人は、ほかの人(比較劣位である人)を自殺に追い込んでやろうと思って言っているのではない。「いいこと」を言っているつもりなのである。
さらに、たとえば、「不満を言わなければ、しあわせになる」と言ったとしよう。これがまた、比較劣位の人を傷つけるのである。自殺に追い込むのである。このしくみがわからないかな? どうしてかと言うと、不満を言わなくても、強烈に不幸なままだからだ。
どうして、わからないのか?
これ、ぼくが言っていることは、とてつもなく、うけないというのことは、よく知っている。
「不満を言うから、不幸になる」「不満を言わなければ、しあわせになる」と言ったほうが、もっともらしいことを言っているような印象をあたえる。
しかし、現実社会においては、そういう言説がやはり、比較劣位である人を追い込むのである。このしくみが、ほかの人にはわからない。