どれだけ言っても、わからないとは思うけど「ちがうんだよ」。ちがうの。普通の騒音じゃないの。普通の人じゃないの。きちがい兄貴は普通の人じゃないから普通の人が絶対にやらないことをやっているんだよ。普通の人の身の回りには、そんな人はいないの。だから、誤解をしているんだよ。きちがい兄貴がきちがい兄貴ではなくて、風雨の兄貴だと思っている。だから、誤解をしている。しかも、誤解をしているということがわかってない。「そんなのはおかしい」と俺の話を聞いて、俺の話が嘘だと思う人は、誤解をしている。
あと、程度のちがいはある。程度のちがいがあるのに、「騒音」と言えば「騒音」としてとらえられてしまう。その人が人生のなかで感じた騒音と、きちがい兄貴の騒音はちがうんだよ。ちがうの。「騒音」という同じ言葉で表しているけど、ちがうの……。全く別物なんだよ。きちがい兄貴が、あのステレオセットで鳴らすまで、きちがい兄貴だって、ああいう騒音は鳴らさなかったの……。それが一六歳のときに、アルバイトをして、でかいステレオセットを買って鳴らすようになった。
きちがいだから、音の感覚がおかしい。耳は正常なのに、でかい音と小さい音の区別がつかない。自分が無意識的に「でかい音で」鳴らしたいなら、そして、それがでかい音だから、やめさせられる可能性があるなら、途端に「小さい音」になってしまうの。そういう、解決方法なんだよ。無意識的な解決方法なの。
それで、これは、きちがい親父もおなじなんだよ。で、きちがい親父はきちがい親父で、常にそういうやり方で、自分の維持をとおしてきたんだよ。これは、たとえば、ぎゃくたいでもそうなんだよ。きちがい親父が、幼児を虐待しているとき、悪いことをしているつもりというのは、一〇〇%、ないんだよ。そういうことを、ごく自然に、きちがい親父がやりとしてきた「うち」なんだよ。
だから、ちがうんだよ。それを、そういうことを無視して、「親が注意しないのだから、そんなでかい音で鳴っていたわけではないだろう」と考えるやつは、おかしい、まちがっている。
けど、そいつに、おれがきちがいあにきやきちがいおやじのことをせつめいしても、そいつは、自分の親や自分の兄弟について考えるから、「そんなんじゃない」というような感じがまとわりつくわけ。
「そんなのはおかしいから、真実じゃない」と思うわけ。
こっちはこっちで、そういう感覚が成り立っているわけ。普通の人はそうなんだよ。だから、きちがい親父やきちがい兄貴のことについて、俺が「正しく」説明してもわかってくれない。けど、言語としてはわかるわけ。
だから、「不愉快な感じ」がしょうじるんだよ。それに、そいつの世界は、きちがい家族がいない世界なのだから、きちがい家族のことを言われると、いやなんだよ。
「そんなのは、ない」というのが、そいつの常識であるわけ。
だから、そいつがもっている常識を覆すことになるのだけど、人間は、自分がもっている常識を、くつがえされるのがいやなんだよ。これは、まえ、くわしく説明したので省略する。
ともかく、うちでは、「普通のうち」では成り立たないことが、常に成り立ってきた。普通のうちでは、一日に一秒だって成り立たないことが成り立ってきた。きちがい兄貴が、よそで、きちがい兄貴が『うち』で鳴らしている音で、鳴らせるかというとちがうのである。「普通のうち」では一秒だって鳴らせないようなでかい音で、ずっと鳴らしてきたというのが問題なんだよ。そして、十数年間にわたって、まったく悪いと思わなかったというのが問題なんだよ。そういう人間を普通の日は、想像できないわけ。
だから「へんだ」と思うわけ。きちがい兄貴が悪いやつなのに、俺が悪いやつだと思うやつがいるんだよ。十数年のきちがいヘビメタ騒音によって、通勤できないからだになったから、働いてないだけなのに、「無職である」ということが影響をあたえる。
そういうやつの感情に影響をあたえる。「無職は悪いやつだ」という深い信念をもっているやつは、「無職だ」と聞かされれば、悪いやつだと自動的に思うんだよ。そのあとに、ヘビメタ騒音でそうなったということを言っても、「悪い人が嘘を言っている」と思うんだよ。こんなのは、ない。
正直に、無職だと言っているのだから、いい人なんだよ。嘘を言っているわけじゃないんだよ。十数年間のヘビメタ騒音で仕方がなく無職になったということを言っているのに、こいつらはなんだ。
きちがい兄貴が悪いことをしてきたのに、まるで、仕事をさぼって、俺が悪いことをしているというように考えるやつが出てくる。第一印象というのは、ものすごく重要だ。
俺は、ほんとうは、第一印象の研究をしたかったのである。学問的な世界で生きたかったのである。きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしても、勉強することができないのである。
勉強することができないだけではなくて、好きな本を読むこともできなくなるのである。体力全体が、けずられる。睡眠不足で、できることが、どーーーしても、できなくなる。そして、睡眠不足のまま、ほかの人と、交流することになる。睡眠不足のからだで、人と交流すると、いろいろな問題が発生するのである。
で、じゃあ、ヘビメタ騒音が鳴っているに眠れるかというと眠れないのである。幼稚な言霊主義者は「眠れる」と言えば眠れると言って、人を、不愉快な気持にさせる。
ほんとうに、ヘビメタ騒音でなくても、横の部屋に住んでいる家族の一員に、自分がこの世で一番嫌いな音を、あの音のでかさで鳴らされたら、夜、眠れくなるんだよ。
「眠れると言えば眠れる」と言っている言霊主義者だって眠れなくなるんだよ。その言霊主義者の家族が、普通の家族だったから、その言霊主義者が、自分がこの世で一番嫌いな音を七時間から一三時間あびて、夜、鳴ってない時間に眠れなくなるということを経験しなかっただけの話なのである。
だれだって、そうなる。
あの音圧で、きちがいが鳴らしているんだぞ。きちがい的な理由で、こういうでかい音で鳴らしていいと思って、鳴らしているんだぞ。頭にくるだろ。理由がちゃんとあって鳴らしているのとはちがうんだぞ。工事で音が出るのはちがうんだよ。幼稚園が、運動会の練習をして音が出るのとはちがうんだよ。きちがい兄貴がきちがい兄貴ではなければ、一秒だって「うちでは」鳴ってない音なんだよ。
だから、そういう言霊主義者だって、鳴らされてない。経験してない。けど、そういう言霊主義者だって「俺だって、苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」と言うことができる。ちがうんだよ。ちがうの。