ほんとうの原因を無視する思考方法がはやっているのだ。ほんとうは、厳然とした格差がある。この格差が、結果のちがいを引き起こしている。ところが、格差だけは、頑固に無視しして、別の理由を考え出し、別の理由が結果のちがいを引き起こしているというのだ。こういう、詭弁。こういう詭弁がはやっている。
きちがい的な親のもとに生まれたか、やさしい正常な親のもとに生まれたかということは、重要なことだ。「格差」がある。この格差を無視して、「明るい思考ができるかどうか」に着目するのである。きちがい的な親のもとに生まれたこどもは、きちがい的な親が虐待してくるので、明るい思考をもちにくい。そして、やさしい正常な親のもとに生まれたこどもは、いろいろな成功体験を親がつませてくれるので、明るい思考をもちやすい。実際に、きちがい的な親のもとでは、トラブルが多発して、苦しいことがしょうじるのである。そして、実際に、やさしい正常な親のもとでは、楽しいことがしょうじるのである。くるしいことを不愉快なトラブル。楽しいことを成功体験と言ってもおなじだ。
その場合、(こどもが)明るい思考をもちやすいか、(こどもが)暗い思考をもちやすいということは、親が正常かどうかということが、ほんとうは、影響している。ところが、「親」という要素を、がん無視して、明るい思考をもっているこどもにはいいことが起こり、暗い思考をもっているこどもには、悪いことが起こると言ってしまうのだ。ほんとうの原因を無視して、ニセの原因を考え出し、ニセの原因が結果のちがいをひきこ押しているというのだ。しかも、ニセの原因は、結果の言い換えにすぎない。ようするに、原因ではなくて、結果の別の側面に言及しているにしかすぎない。結果の別の側面を、原因と言い換えているのだ。こういう詭弁がはやっている。