そういう生活が毎日続けば、人間ならだれだって、つらいと思う。憂鬱になる。朝、起きなければならない時間になっても、起きたくないと感じる。起きて行動しなければならないけど、起きて行動したくないと思う。
問題なのは、「そういう毎日」だ。問題なのは「そういう毎日が続くこと」だ。
一日に二時間しか眠れない状態が、毎日続けば、つらいと思う。それは、構造から押し出されていることだ。きちがいブラック社長が、おしつけてきた仕事の量が多いから、睡眠時間が短くなっていくのである。
最初から、一日に二時間しか眠れな状態ではなかったと思う。六時間ぐらいしか眠れない状態になり、四時間蔵しか眠れない状態になり、四時間ぐらい誌しか眠れない状態になったのだと思う。
「できると言えばできる」と言われて、やってしまったから、そうなっていったのだと思う。やってしまえば「できたじゃないか」と言われる。
相手(ブラック社長)は、自分(名前だけ店長)を働かせることしか考えていない。搾り取ることしか考えてない相手なのである。サービス残業だ。残業部分の賃金は払われない。
まあ、賃金よりも、睡眠時間のほうが、名前だけ店長にとっては重要だっただろう。問題なのは、何度も言うけど「理解したはず」の一般人が、名前だけ店長のつらさに関しては、まったく理解してないということだ。
「理解はした」と一般人が言う。そして、「つらいと感じるからつらいんだ」「できると言えばできる」「限界なんてない」「ネガティブなことをネガティブなことが起こる」と説教をしはじめる。これが、わかっている人のやることか?
けど、みーーんなみーーんな、そうなのである。
ブラック社長のことは、悪く言わないで、名前だけ店長のことを悪く言うのである。ダメ出しをする。
「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」「けど、希望をもって頑張ってきた」「だから、名前だけ店長も、希望をもって頑張ればきっといいことがある」……こんなの、ブラック社長が言うこと……。「自分だって苦労した」とひとこと言えば、程度のちがいを無視できるのである。
どれだけおいつめて、どれだけダメ出しをすれば、気がすむのか。
こういうことを、一般人が普通にやってしまうということが問題なのである。
「つらいんだろ」「それはわかっている」「けど、受け止め方の問題だ」と名前だけ店長のように働いてない人たちが言うのである。そういうことをずっと続けてない人たちが言うのである。
その人たちはみんな、「俺だって苦労した」「俺だって、残業で眠れない夜はあった」と言うのである。
けど、程度がちがう。程度のちがいを無視して、好き勝手なことを言う。程度のちがいを無視しているのはわかる。こいつらが言っていることを、こいつらは信じている。こいつらが信じていられるぐらいに、軽症だったのである。店長は重症だ。
けど、程度のちがいを無視して、話すからそういうことになる。
軽症のやつが、重症の人にえらそうなことを言う。重症の人は、弱っているので、弱みに「つけこまれる」のである。現に弱っているということが、マイナスポイントなのである。
こいつらは、弱っている人には、武勇伝を語りだすのだ。こいつらは、弱っている人には、妄想的な説教をし出すのだ。
おなじ生活をしたら、こいつらのほうがはやくこわれるのに、それがわかってない。
完全な自己チュー。
他人のいたみがわからない、ぼんくらだから、好き勝手なことを言えるだけだ。他人の状態に対する想像力が欠如しているのである。
程度を問題にしない。かならず、無視するか、軽視する。過小評価する。過去の問題にしない。言霊的な助言をする……こういう要素があるやつは、本当にまったくわかってない。
受け止め方の問題なら、こいつらが、受け止め方をかえればいい。
こいつらは、自分が妄想的な正しさにこだわっているということがわかってない。これ、洗脳の結果なんだよ。社会全体が洗脳されているから、普通の人が、妄想的なことを言うようになった。