相対優位、相対劣位というを考えると、名前だけ店長のように、弱り切って、「愚痴」を言っている人は、相対劣位であり、ブラック社長のような成功者は、相対優位なのである。
これは、常識的な一般人を中心にして考えた場合の話だ。常識的な一般人さんがどう感じるかということだ。
名前だけ店長さんのように、弱り切っている人を見ると、自分のほうが優位だと感じてしまうである。人間的に優位だということだ。
いっぽう、成功者を見ると、相手(成功者)のほうが、自分より優位だと感じてしまうのである。社会的な地位は、こういうことに影響をあたえる。
さらに、言ってしまうと、「もと」であったとしても、そうなのだ。「もと総理大臣」「もと大企業の経営者」「もと高級役人」「もと医者」……もとであったとしても、社会的な地位に関する思考に影響をあたえる。
「もと総理大臣」「もと大企業の経営者」「もと高級役人」「もと医者」が、今現在、れっきとした無職であったとしても、普通の無職のようにはあつかわれないのである。「もと」であったとしても、そういう地位についていたということは、「えらさ」の観念に影響をあたえる。
普通の人は、「もとであってもえらい人だ」と感じてしまう。「無職だ」という「無職性」はゼロになってしまうのである。そういう感じ方がある。その人が無職であったしても、無職ではない存在として認識されるのである。
社会的なピラミッド構造と自分を中心にした場合の相対優位・相対劣位という考え方が、ある人間とある人間の関係に影響をあたえるのである。
「相手のことをどうみなすか」ということに、影響をあたえる。これは、「相手に対する態度」になってあらわれる。あるいは、「相手に対する発言」になってあたらわれる。