「無理なこと」というのはあるのだけど、その特定の「無理なこと」を本人が体験してないと、想像のなかでは「無理なこと」にはならないのである。なので、可能なのに、その本人がさぼっているということになってしまうのである。きちがいヘビメタ騒音は、特殊な家族による特殊な騒音なのである。きちがい家族でなければ、鳴らさない騒音なのである。だから、ほかの人には、ないのである。体験としてない。だから、常に、想像で、まちがったことを言ってくるのである。
かりに、「遅刻せずに通う」ということが、正しいことだとする。この前提も、うたがえることなのだけど、うたがわずに正しいことだとする。そして、だれもが「努力」すればできることだとする。これの前提もおかしいのだけど、この前提も正しいとする。きちがい家族によるきちがいヘビメタ騒音という特別な理由が生じたので、できなくなってしまったのである。ぼくは……。ところが、ぼく以外の人は、そういう理由がない。なので、努力すればできる状態が続いている。そういう前提でそういう生活をしている。そうなると、ヘビメタ騒音が、「できない理由」「できなくなる理由」でない以上、凡人の反応は、これまでの投稿で述べたような反応になる。けど、「無理なものは無理なんだよ」。 ヘビメタ騒音生活をしてないやつ……ヘビメタ騒音生活を体験してないやつが……「無理だと言うから無理なんだ」「できると言えばできる」と言ってくる。こんな、きちがい世界で生きていていいわけがない。
「俺だって、くるしかった。ものすごい苦労をした」と凡人は言うかもしれないけど、ほかの人に対して「できると言えばできる」と言っている時点で、たいした苦労じゃないということがわかる。「言霊的な解決法はまったく意味がない」ということを思い知らされないような「苦労」。わらわせるぜ。言霊的な解決法がまだ、頭のなかにある? おかしい。そんなレベルじゃない。「言霊的な解決法なんてまったく意味がない」と思い知らされることになる。それが「本当の苦労」だったらそうなる。思い知らされる。思い知らされる。何万回、こころみれば、何万回、無意味だということを思い知らされる。そういう経験がなく、「言霊は正しい」などと思っている時点で、たいした苦労じゃない。そういうことを思えるよゆうがある「苦労」だ。ぜーーんぜん、ちがうんだよ。
じゃあ、15年目の店長が、「できると言えばできる」と言われて、「できる」と言って、できるようになり、むりな状態が改善されたか? これも、店長が、死にものぐるいでやれば「できたじゃないか」といこうとになる。そういうことが、ずっと、つみかさなってきたから、死にたくなっているんだろ。まったくわかってないな。
そういうことがつみかさなって、「もうできない」「もう無理だ」と言っているんだよ。このまま続けるなら、死ぬしかないと言っているんだよ。