たとえばの話だけど、医者が退職したとする。その場合、その場合、なんらかのことを職業としてやってない限り、その、もと・医者は無職だということになる。無業者だということになる。ところが、この、もと・医者というのは、普通の無職ではないのである。日本では、無職のあいだに、いくつかの区別がある。学生、専業主婦、定年退職者は、無職であっても、無職であるということを「せめられない」無職なのだ。そして、さらに、「元官僚」とか「元会社経営者」とか「元医者」とか「元大学教授」といったたぐいのものは、いわば、高級無職として考えられる存在だ。彼らは、無職であったとしても、普通の無職のように、バカにされない。普通の人から「下に見られない」。この、下に見るかどうかということが、非常に重要なのである。ところが、「無職」という分類区分にこだわっていると、これがわからなくなってしまう。たとえば、もと・医者が、リタイアしたというので、リタイアについて、講演を依頼されたとする。依頼をしてきたほうは、有名会社の経営者だとする。そして、場所はホテルだとする。ホテルの人は、そりゃ、その医者にたいて、うやうやしい態度で接するでしょう。ゲスト講演者なんだからあたりまえだ。そして、その無職である、元医者が、「自分は、無職だけど、無職だからといって差別されなかった」という感想をもったとする。そして、「無職は差別されない」と言ったとしよう。この場合、その発言は正しいのかどうか? 正しくないのである。無職が差別されないのではなくて、高級無職が差別されないだけなのである。こういう、抽象化の部分で、この元医者(現無職)は勘違いをしている。
世間の側の共同幻想が、実際にもっている内容について勘違いをしているのだ。