2023年8月9日水曜日

『スネ夫』と『引き寄せ能力』

『ドラえもん』というマンガに、スネ夫という子供が出てくる。スネ夫の親は、お金持ちで、スネ夫にものを買い与えることが好きな性格だ。スネ夫は、親が金持ち親だから、いろいろなものを買ってもらっている。これは、スネ夫の固有能力ではない。ところが、スネ夫は、自分には「引き寄せの力がある」から「もの」を引き寄せることができるのだと考えているとする。その場合、スネ夫にとって「引き寄せの力」というのがあるというというのは、あたりまえのことで、「自分には、その引き寄せの力がある」と考えているわけだ。それだけなら、別にいい。ところが、スネ夫が、「引き寄せの力があれば、ものを引き寄せることができる」と貧乏な家の子供に言ったらどうなるか? 貧乏な家の子供がどれだけ、「引き寄せの力」をつけようにしても、ものを引き寄せることができない。スネ夫からすれば、その貧乏な家の子供は、「引き寄せる力がないから貧乏なのだ」ということになる。しかし、それはちがうことを原因として考えているだけだ。つまり、まちがっている。『ドラえもん』というマンガには、のび太という子供が出てくる。のび太の家は、普通の家で、けっして、貧乏ではない。さらにのび太には、ドラえもんという強い味方がいる。貧乏な家の子供というのは、のび太よりも、はるかに貧乏で、カネがなく、ドラえもんもいない子供だ。その子供の、固有能力が低いからそうなっているわけではない。その子どもというのを、とりあえず、A君だとしよう。A君の親は、おカネがなく、こどもに物を買ってやれるよゆうがない。そして、A君の親は、こどもに物を買ってやることに非常に心理的な抵抗がある親だ。ようするにA君の親は、たとえ、金持ちでも、A君に、ものを買ってやるつもりがない親なのだ。そういう親のもとに生まれたということは、たしかに、不幸なことだ。しかし、これを、A君の自己責任だと言うことができるだろうか。まあ、前世とか、カルマという考え方を持ち出す人にとっては、それは、A君の自己責任なのである。まあ、自己責任論については、いろいろ語ってきたので、ここでは省略する。問題なのは、スネ夫が、貧乏な家の子供に「引き寄せる力を育てれば、ほしいものが手に入る」というようなことを言うことだ。あるいは、スネ夫が、「自分には、強い引き寄せの力があるけど、A君には、引き寄せの力がない」と考えることだ。スネ夫は、この時点で、自分には能力があり、A君には、能力がないと考えているということになる。そして、能力がないA君が、かわいそうだと思って、「引き寄せる力を強くすることを提案する」のである。引き寄せる力を強くするには、そのほしいものを強くイメージすればいい」というようなことを、スネ夫がA君に言ったとする。A君が、どれだけ、「そのほしいものを強くイメージしても、A君は、そのほしいものを手に入れることができない。A君はそのほしいものを引き寄せることができない。これは、A君の引き寄せる力が弱いからなのか? ちがう。A君の親が、金持ちではなく、A君に物を買ってあげるのがきらいな性格だから、A君は、A君がほしいものを手に入れることができないのだ。ほしいものを手に入れることができないということを、引き寄せる力が低いと言っているのだから、トートロジーになってしまっている。循環している。

 スネ夫は、原因について、完全に、考え違いをしている。そして、自分の考えちがいに気がついてない。スネ夫の助言を、貧乏人の子ども(A君が)実行しても、A君が、ほしいものを手に入れることができるかというと、できない。ほしいものを手に入れることができないA君の状態」というのは、A君がつくりだしていることではなくて、A君の親がつくりだしていることだ。スネ夫と、A君には、「引き寄せ能力」なるものの、ちがいはない。ところが、スネ夫は、自分とA君のちがいは、「引き寄せ能力だ」と考えている。これに関しては、スネ夫は、別に悪意があるわけではない。ただ単に、勘違いをしているだけだ。まちがった考えにこだわっているだけだ。しかし、助言をするとか、提案をするとかとなると、問題がでかくなる。スネ夫は、A君が、A君の欲しいものを手にいられるように助言するのだけど、その助言がまちがっているのだ。けど、スネ夫が、スネ夫の「引き寄せ」という世界観をもっている限り、スネ夫は、自分のまちがいを認めない。そして、A君が引き寄せられないのは、A君の固有の問題だと思ってしまう。A君の固有の問題ではなくて、A君の親の問題なのだ。いずれにせよ、A君が、どれだけ「引き寄せ」をイメージしても、ほしいものを手に入れるということは、できない。関係がないからだ。原因はA君の親の経済力と、A君の親の考え方だ。「の」の重複は指摘しなくていい。「引き寄せ能力」の問題ではなくて、親の経済力と、親の考え方の問題なのだ。

問題なのは、スネ夫の助言が、A君に、失望をあたえるということだ。A君は、親の経済力と、親の考え方をかえない限り、「引き寄せ」に失敗する。ほしいものが手に入らないというとになる。スネ夫の助言は、意味がないばかりか、A君に「引き寄せ・失敗」の経験をあたえるのだ。 必然的に、失敗する。A君は、「引き寄せ」をイメージしても、ほしいものを手に入れることができない。そして、あろうことか、「引き寄せ能力がない」という「烙印」をおされるのだ。スネ夫が、A君には、引き寄せ能力がないという、烙印をおす。「引き寄せ能力欠如」の烙印。けど、それは、最初から決まっていることなのである。スネ夫の助言がまちがっているだから、スネ夫の言うとおりにしても、のぞんだ結果が得られない。ただ、そういうことが典型しているだけなのに、A君は、失敗の経験をして、引き寄せ能力欠如」の烙印をおされる。

まちがった助言をしているほうが、失敗の経験をして、みじめな思いをするのではなくて、まちがった助言をされたほうが、失敗の経験をして、みじめな思いをするのである。そして、「能力がない」と思うようになる。

いまの世の中というのは、そういう世の中なんだよ。

日当たり条件の人は、みんな、スネ夫のようなことをしている。ここに出てきたスネ夫のようなことをしている。みんな、大人だ。大人だけど、スネ夫のようなことをしている。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。