なんで、他人との小さな傷が、大きな傷になってしまうかと言うと、きちがい兄貴やきちがい親父とのかかわりで、全身が傷だらけだからなんだよ。きちがい兄貴との関係で、からだが、傷だらけ。満身創痍。きちがい親父との関係で、からだが、傷だらけ。満身創痍。もう、すべてすべて、限界値に達している。もう、瀕死の重傷状態で、ほかの人とつきあうわけだ。だから、少しの傷でも、致命傷になってしまう。そして、瀕死の重傷状態だから、動きがおそかったりするのである。これは、比喩なんだけど、きちがいヘビメタにやられて、睡眠時間がとれず、慢性的にくるしいわけだから、動きがおそくなるのである。チカラがでない状態になるのである。それは、やはり、他人との関係に影響をあたえる。
それで、たとえば、ネズミ対策工事で、ある意味、親父と似たような人とかかわるようになってしまうのである。この人は、正常な人だ。きちがい親父みたいに異常な人ではない。けど、少しだけ、似ているところがあるのである。この人のことをティーさんと言っておこう。ぼくが、ティーさんにやってほいしいことと、ティーさんがぼくにやってやりたいことがくいちがう場合がある。その場合、プロであるなら、ぼくがティーさんにやってほしいことを優先するべきだ。ようするに、ぼくが「ここはやらなくていい」「お勝手のドアはあかなくもいいから、ぼくが貼り付けたパティをとらないで」と言ったのに、「お勝手のドアは、あいたほうがいいだろ。ネズミがちゃんと入らないようにしてやるからだじょうぶだ」と言うのである。けど、ぼくは、「ドアはあけられなくていいから、ぼくがつけたパティをとらないでくれ」と言ったのだ。言ったんだけど、とっちゃった。「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ」と言う。「とるな」と言ったのに、とった。で、これが、結果的には、だいじょうぶじゃなかったのである。しかも、パティは捨てられないと、パティをもって行かなかったのだ。ようするに、俺がパティをすてることになる。家庭ごみとして捨てることになる。俺は、「とらないでくれ」と言ったんだよ。行為のがわかってないやつがいる。そして、問題がしょうじたとき……ネズミが、お勝手のドアの下から入ってくるようになったとき、電話をしたら、電話に出ないのである。ティーさんが出ない。あとでわかったことだけど、脱腸で入院していた。だから、けっきょく、助けにきてほしいときは、助けにきてくれなかったのである。同種のことを、さらにでかい場所でやられているのである。で、これが、ネズミのことで、いろいろな影響をあたえているのである。ネズミがはいらないように工事をしたのに、二か所、ネズミがはいるようにしてしまったのである。で、ぼくは、何回も「パティはとらなくていい」と言ったのに、とっちゃったのである。じつは、ヘビメタ騒音も影響をあたえている。ヘビメタ騒音のせいで、睡眠時間が普通の人とは、ずれまくっている俺は、ティーさんに「あっちのパティはとらないでください」と言ったとき、三〇時間ぐらい起きている状態だったのである。これ、睡眠がうまくいかない。工事をするとなると、昼間やることになる。ところが、睡眠時間があわないのである。前日まったく寝てない状態で、人に対処することになる。頭が、モヤモヤしているのである。これは、親父の入院や退院、親父の老人ホーム入居などのときも、おなじだ。人と会うことになると、時間の調整ができないのである。前の日から眠ってない状態で人に会うようなことになってしまうのである。だから、頭がモヤモヤしているときに、自分が思っていることを、言うわけだけど、押しが強い人の場合は、こっちが言っていることを、無視してしまうのである。俺が、強く言わなくても、ひとこと言えば、俺が言ったことを優先してくれる人だと問題は起こらないのだけど、自分がやりたいことが優先する人の場合だと、問題がしょうじる。一回、しずかに言っただけでは、納得せず、自分がやりたいようにやってしまうのだ。これ、問題があるよ。俺がティーさんにやってほしいことをティーさんはやるべきなんだよ。ティーさんが俺にやってやりたいことを、やるべきではないんだよ。俺が、「ドアはあけられなくていいい」「パティはとらなくていい」とひとこと言ったら、そうしてくれないとこまるんだよ。
家が古いので、ふるい家のつくりについてよく知っている人じゃないとだめだったのだ。で、そういう人は当然、歳をとっている。「昭和一桁の呪い」と言っているのだけど「昭和一桁」の人は、自分が相手にやってやりたいことが優先する人が多い。ティーさんは、親父のように気ちがいではない。ティーさんの逸脱の程度は、親父とは比べ物にならないほど小さい。けど、「相手が(自分に)やってほしいこと」よりも「自分が相手にやってやりたいこと」をやりたいという気持が、強いのだ。「相手が(自分に)やってほしいこと」よりも「自分が相手にやってやりたいこと」を優先してしまう。こういう人は、部分的には、親父と似ているのである。だから、きちがいではなくても、同種の性格傾向をもっている人たちが、社会にはいる。
きちがい兄貴の騒音で、満身創痍になっていなければ、対処できるのに、それが対処できないのである。睡眠障害と体力障害をかかえている状態で、うまく対処できないのだ。体力障害と書いたけど、これは、まあ、慢性疲労症候群のようなものだと考えてくれ。体力測定で測れるような体力と、生活体力のようなものはちがうのではないかと思っているわけ。たとえばの話だけど、前日眠っていない状態で、体力測定をうけたとする。その場合、なんとか力をふりしぼって対応するわけだけど、意識水準は当然、前日眠っているときとくらべれば、さがっている。そして、「持続時間」というものを、考えなければならない。「気をはって」「無理やり動いている状態」……が、数時間、十数時間にわたって、持続するわけでしょ。無理やり動いている時間の体力というのは、体力測定で測れる瞬間的な体力とはちがうと思うんだよね。十数時間にわたって、持続して行動することができる体力と瞬間的な体力はちがう。ぼくの場合、持続して行動することができる体力も、ヘビメタ騒音以前は、人並みにあった。けど、毎日のヘビメタ騒音が「不可避的に」けずっていく。生活体力というべき体力がさがった。