2023年8月20日日曜日

ぼくが「できない」と言っていることは、できないことなんだよ

 小学六年生の10月から、きちがいヘビメタがはじまっているわけだけど、俺のからだには、きちがいヘビメタ騒音の経験が「つまっている」。

で、ほんとうに、繰り返しで「できなくなる」。できたことができなくなるの……。それは、ちゃんと眠れるということにもあらわれる。ヘビメタ騒音前は、努力なんてしなくたって、ちゃんと眠れたの。そういう能力があったの……。

ところが、ヘビメタ騒音期間中と、ヘビメタ騒音期間後は、どれだけ努力しても、ちゃんと眠れなくなった。

いちおう省略して言うけど、ぼくが「できない」と言っていることは、できないことなんだよ。ぼくが、できないと言っていることは、いまのぼくにできないことなんだよ。ところが、「できる」という前提でものを言ってくる。「過去なんて関係がない」「過去の影響は関係がない」「できるといえば、できる」というような意見は、「できる」ということを前提にして言っている。

俺が「できない」と言っているのに、「できる」ということを前提にしてものを言うやつ……と、うまくいくわけがないでしょ。これはもう、宗教裁判みたいなもんなんだよ。「できない」と言っているの、「こうすればできるようになる」と魔法的解決法を提示するやつがいる……。その魔法的解決法は、役に立たないので、魔法的解決法をこころみても、「できないまま」なんだよ。それは、ずっとずっとやってきて、わかってることなんだよ。

きちがいヘビメタの時間というのは、こういうことを言う人たちが考えているような時間ではない。きちがいヘビメタの生活というのは、こういうことを言う人たちが考えているような生活ではない。もう、最初から、考えていることがちがう。

「できる」か「できないか」に関しても、ぼくができるかできないかについて話しているのに、ぼくが「できない」と言っているのに、それを無視して、「できる」という前提で話をすすめるやつが、「ぼくにとって」いい人間だとは思えない。

そこで提示される「方法」が現実的な方法とは思えない。きちがい兄貴が、きちがいでなければ、こんなことになってない。

「できる」という前提でものを言ってくる人間は、みんな、きちがいヘビメタ騒音や、それに相当する騒音を経験してない。

「想像」でものを言っているだけだ。ヘビメタ騒音や、それに相当する騒音の影響を、過小評価しているのである。あるいは、もっと言ってしまえば、無視している。

これは、言っちゃいけないことだけど、ヘビメタ騒音の影響を無視しているという意味で、きちがい兄貴や、きちがい親父とおなじなのである。きちがい兄貴やきちがい親父と、ヘビメタ騒音に関する認識がおなじなのである。

どうして、「言っちゃいけないことなんだけど」と言ったかというと、これを言うと、「できない」ということを無視して、妄想的な方法を提示した人は、みんな、「俺(妄想的な方法を提示した人)と、きちがい兄貴とやらが一緒だというのか?」とものすごい剣幕で言ってくるからだ。

まあ、すくなくても、ぼくの発言で、気分が悪くなったと言うことだろう。これ、なかなか、むずかしいことなのである。とりあえず、「できない」ということを無視して、妄想的な方法を提示した人のことをAさんと呼ぶことにする。

Aさんと、きちがい兄貴はおなじなのかどうか?

おなじじゃない。

Aさんは、うちでヘビメタを鳴らしてない。ぜんぜんちがう。ぼくに対して、騒音を浴びせかけてない。だから、ちがう。

けど、「できない」とぼくが言っているのに、「できる」という前提でものを言っていることにはかわりがないし、ヘビメタ騒音がそういうレベルの影響しかないと(まちがった)見積もりをしているということ関しては、きちがい兄貴とおなじなのである。

これ、ほんとうに、わかってないだけなのだ。自分がおなじことを経験したら……人生のおなじ時期に、おなじ期間の長さ、経験したら、わかることなんだよ。「できるわけがない」。「そんなことで、できるようになるわけがない」。こういったことが、普通にわかるはずなんだよ。経験してないからわからないだけなんだよ。

そして、きちがいヘビメタ騒音に関しては、この人たちは、犯人じゃない。Aさんは、犯人ではない。Aさんが、きちがいヘビメタを鳴らし続けたわけじゃない。だから、ちがう。「同じような人間だ」と言っているわけではないのだ。そういうことをするような「似たような人間」だと言っているわけではないのだ。

けど、Aさんは、自分と、きちがい兄貴とやらがおなじような人間だといわれたと、勘違いする可能性がある。あるいは、Aさんは、自分ときちがい兄貴とやらが人いる人間だと、言われたと勘違いする可能性がある。これは、勘違いだ。

ぼくは、たしかに、きちがい兄貴とAさんは、ヘビメタ騒音の影響を無視する点で似ていると言っている。けど、きちがい兄貴と、Aさんがおなじことをするような、おなじような性格の持ち主だとは言ってない。言ってないのだ。けど、誤解する可能性はある。

こういうことだって、きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなくて、普通の兄貴だったらしょうじないことなんだよ。みんな、きちがい兄貴の性格と、きちがい兄貴がやったことの影響ののでかさについて、考え違いをしている。「の」の重複は指摘しなくていい。

普通の家には、きちがい兄貴がいない。

きちがい兄貴のような感覚、あるいは、きちがい兄貴のような脳みそをもっている人がいない。ひとりもいない。だから、ほかの人にとって、きちがい兄貴は未知の存在なのである。あるいは、ほかの人にとって、きちがい兄貴がやったことは、未知のことなのである。自分の経験の範囲にはないことなのである。

だから、自分の経験の範囲にないことについて、「特に影響がない」と推論してましう。それは、本当に自分がおなじことを経験していたら、ありえないことだ。そんな推論は、絶対に成り立たない。おなじ経験をしているのに、そういう推論が成り立つということはない。

これ、みんな、わかってないから、そういうふうに勘違いしてしまうだけなのだ。

きちがい兄貴と、普通の兄貴は、ちがうんだよ。きちがい家族と、普通の家族は、根本において、ちがうんだよ。きちがい家族やこることの影響というのは、普通の家族がやることの影響とは、ちがうんだよ。

けど、やはり、おなじようなものだと仮定して、推論してしまう。だから、「俺だって、朝、眠りたいときはある」「俺だって、朝はつらい」「俺だって、徹夜したことがある」「俺だって、夜、眠れないときはある」……ちがうんだよ。きちがい兄貴の行為によってもたらさる、それらのことと、きちがい兄貴の行為によっもたらされたわけではない、それらのことは、ちがう。ぜんぜんちがう。質も、期間の長さも、ちがう。ぜんぜんちがう。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。