だから、まあ、スネ夫は、「自分は、親が金持ちの家に生まれてよかった。親が金持ちだから、自分がほしいものを買ってくれた。ありがたいことだ」と言えばいいのに、そういうふうには言わないで「自分は、引き寄せの能力が高いから、買いたいものを引き寄せることができるんだ」と言ってしまうのである。
まあ、作中のスネ夫は、そんなことを言わないけど、「引き寄せ能力が高い」と思っている人の状態を表現するために、スネ夫に登場してもらった。
「自分は親切にしたから、しあわせになったんだ」と思っている人は、「人に親切にするとしあわせになる」と言ってしまう。それは、悪いことではないように思える。
しかし、いろいろとまずいことがしょうじる。
で、この「しあわせバージョン」は「引き寄せバージョン」とおなじことが起こっているので、引き寄せバージョンについてだけ、語っておいた。
「けど……、けど……、引き寄せでしあわせになる人もいるんだからいいじゃない」と言う人もいるかもしれない。
けど、それは、引き寄せでしあわせになっているわけではない。「引き寄せでしあわせになった」と誤解している人がいるだけだ。
「日あた良好条件の種」「日陰条件の種」「暗闇条件の種」について、書いたけど、あれとおなじことが成り立っているのだ。
日陰条件の種だって、少しは、枝がのびるし、少しは、根をはることができる。相対的に「日当たり良好条件の種」よりも、のび方がみじかいだけだ。
もし、「日当たり良好条件の種」が「枝がのびるところをイメージすれば枝がのびる」と言ったとする。そして、日陰条件の種が、「枝がのびるところをイメージした」とする。そして、そのあと、枝が少し、のびた。
この場合、別に「枝がのびるところをイメージしなくても」枝がのびる。この場合も「あと」と「から」を混同しているだけなのだ。ほんとうは、イメージした「あと」枝がのびた。
けど、日陰条件の種が、イメージをした「から」のびたと勘違いしてしまうのである。
正体は、勘違い。
そして、これが、「引き寄せ方法を人に助言するな」と言っている理由のひとつなのだけど、暗闇条件の種はどれだけイメージしても、枝がのびることがないのである。
それも、最初から決まっている。日当たり良好条件の種が「イメージすれば枝がのびる」と言うまえから、決まっている。日陰条件の種が、日当たり良好条件の種の言うことを聞いて「イメージしたから枝がのびた」と言うまえから、決まっている。
さいしょから、決まっていることだ。
しかし、暗闇条件の種は、「イメージすることがへたくそだ」というレッテルを貼られるのである。引き寄せ方法は有効な方法なのだけど、暗闇条件の種が、へたくそだから、引き寄せ方法をうまく利用することができないということに、なってしまうのである。
日当たり良好条件の種と、日陰条件の種の頭のなかではそういうことになってしまう。そうしたら、その種のなかでは、それは「たしかなこと」なのである。
なので、暗闇条件の種が、悪く言われる。
「能力がないからダメなんだ」と言われることになるのである。
こういうひどいことが、普通におこなわれるのがこの世だ。
* * *
さらに、自己責任という考え方がはやっていると、枝をのばすことができないのは、自己責任。根をのばすことができないのは自己責任と言うことになる。そんなのは、能力がないやつが悪いんだ。そんなのは、努力しないやつが悪いんだというとになってしまう。
努力というのは、「引き寄せる努力」のことも入っている。そして、「引き寄せに失敗した」なら、それは、引き寄せの努力を「じゅうぶんに」しなかったことになるのである。
これもまた、日当たり良好条件の種の「頭のなか」と、日陰条件の種の「頭のなか」でそうなる。「の」の重複は指摘しなくていい。日当たり良好条件の種と日陰条件の種は、「それが原因だ」と決めつけてしまうのである。
暗闇条件の種が、枝をのばすことができないのは、「引き寄せ能力が低いからだ」とか、「引き寄せる努力をしないからだ」とかということになってしまうのである。こういうでたらめな言い分が、正しいこととして流通してしまう。これも、問題のひとつだ。
* * *
暗闇条件の種は、枝をのばすことができない。なので、暗闇条件の種が「枝がのびない」と言ったとする。そうたら、善意の言霊主義「種」が、「のびないと言うから、のびない」「のびると言えばのびる」と魔法的な助言をする。これ、助言をしたほうは、いい気持になるかもしれないけど、助言をされたほうは、いい気持にならない。そして、試してみても、のびない。
のびないので、「魔法的な方法は役に立たない。言霊は有効ではない」と、暗闇条件の種が言うと、日当たり良好条件の種や日陰条件の種が「そういうネガティブなことを言うからだめなんだ」とダメ出しをするのである。
しかし、「理由」について勘違いしているのは、日当たり良好条件の種や日陰条件の種だ。
そして、「魔法的な方法は役に立たない。言霊は有効ではない」という判断は正しいのである。正しいのにまちがっていると言われる。「暗いからダメなんだ」「ネガティブだからダメなんだ」と悪口を言われることになるのである。
暗闇条件の種が、暗闇条件でくるしんでいるのに、暗闇条件の種のせいにして悪口を言っているのはどっちか。
勘違いをして、暗闇条件の種について、悪く言っているのはどっちか?
暗闇条件の種のことを悪く言っているは、日当たり良好条件の種や日陰条件の種なのである。ネガティブなことを言っているのは、日当たり良好条件の種や日陰条件の種なのである。
「ほんとうは、暗闇条件の種のせいではないのに、暗闇条件の種のせいにしてしまうのは、いいことではない。暗闇条件の種の「自己責任」ではないのに、暗闇条件の種の「自己責任」にしてしまうのである。
種が、種を、こういうふうにせめるのである。
これは、全体的にみればよくないことだ。自己責任ではないのに、自動的に、自己責任ということにされてしまう。ネガティブなことをしているのは、実際には、勘違いをしている日当たり良好条件の種と日陰条件の種なのに、暗闇条件の種がネガティブなことをしたということになってしまうのである。