繰り返しになるけど、言霊主義者は「一〇〇%の言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」……(2)という意味と「言ったことが、現実化することもあるし、現実化しないこともある」……(3)という意味を、 「言ったことが現実化する」……(1)という同じ言葉に込めて、使っている。使いわけている。
けど、意識して使いわけているわけではなくて、無意識的に使い分けているのだ。
なので、本人は、(2)と(3)の区別をせず、「おなじものだ」「おなじ意味だ」と思っている。
なので、悩みを抱えた他人に言うときは、(2)の意味で 「言ったことが現実化する」と言っている。
この場合は「言ったことが、現実化するかもしれないし、現実化しないかもしれないし、そんなのはわからない」ということを言っているわけではないのである。
人に助言するときは、かならず、「一〇〇%の言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」という意味で、 「言ったことが現実化する」と言っているのだ。
いっぽう、自分の現実的な問題に関しては、「言ったことが、現実化するかもしれないので、希望をもって生きていこう」という意味で「言ったことが現実化する」と自分自身に言っている。
ようするに、「言ったことが、現実化しないこともある」ということを、認めてしまっている。「言ったことが現実化しないこともある」という意味と「一〇〇%の言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」という意味は、ちがう。ちがいすぎる。
しかし、おなじ文でこのふたつを表現しているのである。おなじ文というのは、もちろん、 「言ったことが現実化する」という文だ。
言霊主義者は、特に意識してないけど、こういうふうに「言ったことが現実化する」という言葉の『意味』を使いわけて、生活している。