たとえば、日当たり良好条件の種が、暗闇条件の種に「花を咲かせる方法」についてアドバイスしてもむだなのだ。
このアドバイスは、まちがっている。
日当たり良好条件の種は、「自分は大きな花を咲かせるぞ」と言ったから、大きな花を咲かせたと思っている。だから、嘘を言っているつもりはないのである。
ただ、「言ったから」と「言ったあと」を混同し、『条件』を無視してるから、そういうことが、言える。
言われたほうの暗闇条件の種がどれだけ、一生懸命に「自分は大きな花を咲かせるぞ」「自分は大きな花を咲かせるぞ」と繰り返し言っても、花は咲かない。花が咲かないどころか、幹も枝もない状態のままだ。まあ、茎でもいい。ともくは、育たないまま終わる。
言っても、そうならなかったのは、暗闇条件の種の「言い方が悪かったから」だろうか。
ちがう。
条件が決めている。光がある条件なのか、それとも、光がない条件なのかということが、花をつけるかどうかという結果を決めている。なので、種が日当たり良好条件のもとに置かれたときには、花がほぼ一〇〇%の確率で咲くということが決まっいて、種が暗闇条件のもとに置かれたときには、一〇〇%の確率で咲かないということが決まっている。
条件が、結果を決めている。
そして、時間が経過して、その条件の差が結果としてあらわれただけなのだ。
ところが、大きな花を咲かせた種は、暗闇条件の種に善意で「花を咲かせる方法」についてアドバイスをする。これ、善意なのだ。けど、いままで見てきたように、二重の勘違いがある。
これが、じつは、人間社会で起こっていることだ。
「大きな花を咲かせる方法」については、大きな花を咲かせた人にしか語れない。大きな花どころか、花さえ咲かせてない人が「大きな花を咲かせる方法」について語ったとしても、だれも耳を傾けない。そういう意味で、成功したほうが、ニセの方法について語るということが、決まっている。一方通行なんだよ。一方通行。
大きな花を咲かせた種も言うんだよ……。
「私だって、台風を経験した。台風で身がもっていかれそうになった。雨が何日も続いた日があった。日照りでたいへんな日々があった。風が強い日だってあった。けど、大きな花を咲かせるぞとがんばった。だから、花が咲いた」というようなことを言う。
けど、日当たり良好条件に置かれたから、花が咲いた。
こういうことを言っている種だって、暗闇条件に置かれれば、花どころか、葉っぱもつけられずに終わる。幹もない。枝もない。そういう状態で終わる。それは、条件で決まっている。