ほんとうに、どんなときもくるしかったなぁ。どんなときも、ヘビメタ騒音でふくれあがって、くるしかった。からだが腫れている状態なのである。精神が腫れている状態なのである。どんな時間も、くるしかった。ダイヤと遊ぶのはおもしろかったけど、やっぱり、一日中ヘビメタがない状態とはちがうんだよね。ダイヤにあいに行くまえ、ずっとヘビメタが鳴っていて、ダイヤと遊んで帰ってきたあと、ヘビメタが鳴っているわけだから。きちがい的な音で鳴っている。どれだけ、「やめろ」「うるさいからやめろ」「でかい音で鳴らすな」と言っても、きちがいが、きちがい感覚で鳴らす。あのでかい音で鳴らしても、まったく悪いとは思わないのだ。自分がやりたい音で鳴らしたいから、「でかい音だ」ということを、感覚器を書き換えて、否定してまう。こんなきちがいのことが、わかるわけがない。ほかの人にわかるわけがない。それに、ほかの人には、こんな家族はいないので、こんな家族にやられたこともないということになる。でっ……。だから、わからない。ほんとうに、からだが、きちがいヘビメタの音になぐられて、ボコボコな状態なのだ。精神が、ヘビメタの音になぐられて、腫れあがった状態なのだ。一日中腫れあがっている。あの状態が、毎日毎日、続いていいわけがない。ところど、一日もなかった人は、一日の状態がわからないし、毎日一〇年間続かなかった人には、毎日一〇年間続いたときの状態というのが、わからない。わからないから、勝手に、過小評価して、「過去は関係ない」「鳴り終わったら関係がない」と言う。「ヘビメタでできない」と言えば「できないなんてことはない」と言う。自分が経験してないから、そう言えるだけなのに、ぼく以外の人が経験してないから、みんなそういうふうに言うわけで、多数決でやったら、ぼくが負けるのだ。ぼくの一人なのだから……実際に、うちのきちがい兄貴にやられたのは、ぼくひとりであるわけだから、絶対少数派なのだ。もう、決まっている。時間がたてば、つかれがとれると思っている。けど、きちがいヘビメタに何千日もやられると、つかれがとれない。睡眠回路も、もとにはもどらない。きちがいヘビメタが鳴ってなかった期間の、普通の睡眠回路に、鳴り終わって十数年たっても、何十年たっても、戻らない。
気分というのは、つながっているから、一日のなかで、あれだけ長い時間鳴っているのであれば、鳴ってない時間も影響をうける。なぐられたあと、あざができるようなもので、そのときなぐられてなくても、あざが消えない時間がある。それとおなじなんだよ。あんなに、ドシドシ、きちがい音に脳みそを激しくたたかれていいわけかない。からだじゅう、なぐられた。からだじゅう、なぐれしていいわけがない。「鳴り終われば、それでおしまい」なんてことはない。「鳴り終われば、それで影響なし」なんてことじゃない。ちがう。ちがう。ぜんぜちがう。けど、そういう体験がない人には、わからない。