やられたことがちがいすぎるんだよな。みんな、毎日続くヘビメタ騒音のことがわかってない。きちがい兄貴のことがわかってない。
けっきょく、ひとごとなら、なんとだって言えるのだ。
自分の身に起こったことでなければ、いたくも、かゆくもないことだ。
だから、「関係ない」と言える。ところが、この身体を使って生きているぼくとしては、きちがい兄貴がしたことは、関係があることなんだよな。出来事としては過去のことだけど、いまでも、影響がある。
影響があることなんだよ。
いま、影響があることなんだよ。
ずっとずっと、はじまったその日から、影響があることなんだよ。もう、何十年も毎日毎日影響があることなんだよ。そりゃ、やられてないから影響がない人にはわからない。
やられてない他人だから「影響なんてない」と言える。やられてない他人だから「過去なんて関係がない」と言える。それは、やられてないからだ。毎日毎日、あの状況で暮らしていなかったからだ。あれが影響をあたえないわけがない。
「さいちゅう」のときもつらかったけど、終わったあとも、つらいね。障害がしょうじた。長期間の物理刺激で、障害はしょうじるるよ。障害がしょうじたら、障害がしょうじた体(からだ)で、生きている以上、影響があるんだよ。
他人はもちろん関係がない。
経験がないし、自分のからだではないからだ。もし、おなじことを経験したら……ずっとずっとやられたら……人間のからだをもっている以上、影響が続く。「続かない」と思っているのは、やらてれないからだ。
一日がどういう一日なのかわかってない。
それが一〇〇〇日続くとどういうことになるかわかってない。それが三〇〇〇日続くとどういうことになるかわかってない。それが五〇〇〇日続くとどういうことになるかわかってない。きちがい兄貴を殺さなかっただけましだ。いや、殺さなかったから、こっちが、いまこまっている。
他人との温度差はある。
そりゃ、「うち」で鳴っているわけだから、「よそ」の人は関係がない。とくに、学校の人は関係がない。職場の人?は関係がない。出会った人は、関係がない。関係がない。関係がない。その人たちが、「鳴らされて」毎日蔵ているわけではないのだから、関係がない。関係がない。
けど、俺には関係がある。横の部屋で、鳴っていたから関係がある。
きちがいが、きちがい的な意地で鳴らしていたから関係がある。きちがいがきちがい的な感覚で鳴らしていたか関係がある。
きちがいだから、なにを言ってもつたわらない。
そして、おなじ頭の構造をもつ、きちがい的な父親が、それを支援していた。それというのは、きちがい兄貴が、きちがい的な音で鳴らすことだ。あれ、普通なら、とめるのだけど、黙認して、支援していた。そんなのは、普通の家では、ないことだ。そういう父親は、普通の家にはいない。
だから、すべてが、普通の人にはわからないことになってしまう。
この重要性がわからない。
平日は帰ったあと、ずっと鳴らされるということがもつ意味が、わからない。
眠れくなるということがわからない。眠れないまま午前四時、午前五時になってしまうということがわからな。そして、七時四五分に起きて学校に行くことが、わからない。七時四五分って、七時五〇分に出ても、遅刻ギリギリ。七時五六分になったら、もう、遅刻確定だ。
そういうレベルで、生きているのである。ほんとうに、五分で、出てた。
それもパニックなのである。もっと早く起きればいい……きちがいヘビメタが鳴っていて、眠れないのだ。
あれは、夜、眠れなくなる音だ。ほんとうに、みんなわかってない。鳴り終われば、眠れると思っている。そんなことはないんだよ。
2023/07/16 23:51作成