家族が、きちがい的な音を鳴らすことに、こだわってこだわって鳴らしたという経験がない人には、わからない。鳴り終わったあと、興奮して眠れなくなるということがわからない。
それが、何千日も続いたときの、体(からだ)の状態がわからない。動かない体(からだ)を無理やり雨後しているときの気分がわからない。わからないから、好き勝手なことを言える。
きちがいヘビメタを、数時間鳴らされ続けたあとの、体(からだ)の状態がわからない。
脳みその状態がわからない。あんなもの、眠ろうと思ったって眠れないのである。めちゃくちゃにつかれているのに、眠れないのである。
あの感覚を経験したことがないやつに、なにがわかるか?
そういうやつが言っている「だれだって朝はきつい」とか「俺だって眠たいときはある」とかというようなことではないんだよ。こいつら、勝手に勘違いして、見当違いのことを言っている。しかも、きちがいヘビメタを一五年間鳴らされたことで、ぼくの社会的な地位がおちているので、「自分」のほうが、エイリさんよりも、社会的な地位が上だと思っているバカ野郎が、えらそうなことをぬかすのである。
きちがいヘビメタが鳴るまえ、一一年間にわたって、きちがいヘビメタがない状態で毎日暮らしてきたわけだが、そのときだって「朝がきつい」と感じるときはあった。けど、それがちがうのである。ぼくは、きちがいヘビメタを経験したので、「ちがい」がわかるけど、ほかの人は、一一歳までのぼくとおなじで、きちがいヘビメタという異質な音を、何時間も聞かされる毎日というものを経験したことがないのだ。
だから、「ちがい」がわからない。
比較の対象がないからな。そして、自分が経験した「朝のつきつさ」とぼくが経験した「朝のきつさ」がおなじだと思って、きちがい的な提案をしてくるのである。完全になめられている。
けど、こういう状態がしょうじたのは、基本的に言って、きちがいヘビメタが鳴っていた「から」なのである。
鳴ってなかったら、こんなやつらに、こんなことを言われるわけがない。
普通の人が経験している「朝のきつさ」しか経験してないわけだから、そんなことを言われる状態になってない。
もし、きちがい兄貴がきちがい的な意地で毎日きちがいヘビメタを鳴らさなかったなら……ということだ。鳴らさなかったなら、普通の人が経験している朝のきつさ」しか、ぼくも経験しなかったから、そういうことがしょうじてないということだ。