いやなこと、ばっかりだったなぁ。ヘビメタ騒音で立場が弱くなる。この、ヘビメタ騒音という悩みが、ほかの人にはまったくわからないのである。どうしたって、普通の騒音を想像してしまう。普通の騒音を想像して、ものを言う。けど、きちがい兄貴は、頭がおかしいから、頭がおかしい人が、横の部屋で鳴らしている、騒音なんだよ。これがわからないんだよな。頭がおかしい人が鳴らしているということの、意味がわからない。そして、頭がおかしい人の行為を、大家である、きちがい親父が支持している。これも、ほかの人には、まったく、まったくわからないことなんだよな。そうなると、ぼくが誤解される。どうしたって、遅刻するようになるのに、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音の深刻さがわからない人には、ぼくが、あまえてさぼっているようにしか見えないのだ。そして、弱くなれば……立場が弱くなれば「できないというからできないんだ」とか妄想的なことを言われるようになる。ヘビメタ騒音でできないのに、ヘビメタ騒音でできないということは、ヘビメタ騒音に、うちでやられたことがない人には、まったく、まったくわからない。そういうことの繰り返しだった。どれだけ、はりつめてがんばっても、きちがいヘビメタが鳴っている限り、できないんだよ。遅刻もせざるをえないんだよ。けど、ほかの人には、『きちがい家族』がいないので、そういう状態がない。そういうことを経験して、毎日生きているわけではない。だから、根本のところがわからない。わからなければ、事実上できなければ、「なめてかかってくる」。だから、「こういうことでこまる」「こういうトラブルが発生してこまる」ときちがい兄貴の部屋に行って、きちがい兄貴に説明するけど、一分だってやめてくれたことがないのだ。自分がやりたい音で鳴らすということに、きちがい的な意地でこだわって、きちがい的な意地で鳴らす。殺さなければやめさせることができない。しかも、そういうことあったあとでも、きちがい兄貴は「まったくやったつもりがないまま」なのである。自分がかかわっているということがわからない。自分がかかわっていることで、おとうとが文句を言ってきたということが、わからない。きちがい兄貴の態度というのは、きちがい的にこだわって鳴らすけど、「まったく鳴らした記憶がない」という態度なんだよ。「そんなことは、一回も、一秒してない」という認識に基づいた態度なんだよ。気ちがいだろ。こんなの。けど、ごく普通にそうなっているんだよ。
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ヘビメタ騒音って、ひとことで言っているけど、ほんとうに、長い時間やられた。この長しい時間、ずっと、言霊なんて成り立ってないのである。もう、使えないから、放棄された方法なんだよ。
ヘビメタ騒音って、ひとことで言っているけど、ほんとうに、一日のなかでも、鳴っている時間が長い。その鳴っている時間、全部、ほんとうに、くるしい。そして、その影響が、鳴り終わったあとも続く。トラブルのもとなのである。「鳴り終わったら関係がない」などと言っているやつに、なにがわかるか。そいつは、きちがい家族による、しつこいしつこい、騒音を経験してないだけだ。全部が全部、ちがってきてしまうのである。破壊的な騒音で、生活ぜんぶがぶっ壊れる。どれだけ、ぶっ壊れないように頑張っても頑張っても、生活ぜんぶがぶっ壊れる。だいたい、そういう経験がない人が、「愚痴を言っている」と思うわけだ。これも、ひどい話なんだよ。こういう人は、「愚痴を言いやすい性格の人」と「愚痴を言わない性格の人」をわけている。どういう条件で暮らしているかなんて関係がないのである。その人は、たまたま、好条件で暮らせただけなのである。その人は、たまたま、普通の条件で暮らせただけなのである。日陰条件だって、暗闇条件とはちがうのである。その生活のなかで、実際にしょうじた出来事に注目しないで、そんなことばかり言っている。人によって、不愉快な出来事の個数が、ぜんぜんちがうのである。一〇〇〇〇個の不愉快な出来事にたえて、五〇個の愚痴を言う人……。一〇〇個の不愉快な出来事にたえて、一〇の愚痴を言う人。愚痴の数は五〇個の人のほうが多いけど、五〇個の人のほうが一〇個の人よりも、「愚痴を言いにくい」性格の人なのである。こういうことをまったく考えてない。おなじぐらいの出来事がしょうじていると考えて、「愚痴を言いやすい人」「愚痴を言いにくい人」という「人の性格」について考えている。けど、これ、まちがいだ。条件がちがえば、発生する出来事がちがうのである。そういうことを無視して、「みんなたいだいおなじ」という設定のもとでわかってようなことを言う……ということがはやっている。みんな、そうだ。