2023年7月7日金曜日

「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、すごい力がある

「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、すべての病気治す力がある……と言う人がいたとしよう。

とりあえず、Aさんだとする。Bさんは、毒によって引き起こされた病気で悩んでいるとする。Aさんにとって、Bさんの病気は、どうでもいい。

Aさんは、くるしんでない。

Aさんはつらくない。

Aさんは、Bさんのからだを使って生きているわけではないので、ひとごと、だ。なので、どういう理由で、どういう毒で、どういう作用機序でくるしんでいるのかということは、関係がない。

関係がないという意味で、Bさんのくるしみには、関心がない。毒の作用機序を解明しようなどという気持はないのだ。

ただ、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、すごい力があるので、どんな病気も治すことができるということを言うだけだ。

Bさんは、わらをもつかむ気持ちで、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言った。

「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉の、すごい力によって、病気が治るということはなかった。

あたりまえだ。

冷静に考えてみれば、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉に、そんな力はない。

けど、Aさんは、「俺がぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーーと言ったら、病気が治った」「これは事実だ」「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーーという言葉にはすごい力が宿っている」と言うのだ。

Aさんが「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言ったときは、病気が治った。

けど、これがほんとうだとして、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言ったから、治ったのか、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言ったあと自然治癒力によって病気が治ったのかわからない。

けど、Aさんは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言った「から」治ったと確信しているのである。

Aさんの世界のなかでは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には病気を治す力があるということになっている。

けど、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、その病気を治す、作用機序はない。

ただ単に、Aさんが、「から」と「あと」を混同しているだけなのだ。

けど、Aさんは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉に宿る力を信じている。

これと、言霊主義者の言霊はまったくおなじだ。

「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」ではなくて、「願望」「希望」「夢」「願い」を言うことになっている。だから、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」よりは、不自然ではない。

けど、おなじなのだ。

よく、「自分は、実際に願いがかなった」「だから、言霊は正しい」「言霊にはすごい力が宿っている」と言う言霊主義者がいるけど、それは、「から」と「あと」を混同しているだけだ。

願いを言ったあとに、その願いがかなっただけだ。

そして、願いがかなうかどうかというのは、条件によってちがう。

ほんとうは、条件のちがいが、時間の経過とともに「開花」しただけなのだ。条件と、時間の経過は、「願い」がかなうかどうかに、ものすごい影響をあたえる。「願い」を言ったかどうかよりも、ずっとずっとずっと、強い影響をあたえる。

だいたい、「願い」を言うことができる条件で、「願い」を言っているのである。「願い」を言うことができない条件なら、どれだけ何回、言霊の力を信じて「願い」の呪文を言っても、「願い」はかなわない。

それは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言っても病気が治らないのとおなじだ。あるいは、「一秒後に、一億円が、机の表面からでてくる」と言っても、でてこないのとおなじだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。