「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、すべての病気治す力がある……と言う人がいたとしよう。
とりあえず、Aさんだとする。Bさんは、毒によって引き起こされた病気で悩んでいるとする。Aさんにとって、Bさんの病気は、どうでもいい。
Aさんは、くるしんでない。
Aさんはつらくない。
Aさんは、Bさんのからだを使って生きているわけではないので、ひとごと、だ。なので、どういう理由で、どういう毒で、どういう作用機序でくるしんでいるのかということは、関係がない。
関係がないという意味で、Bさんのくるしみには、関心がない。毒の作用機序を解明しようなどという気持はないのだ。
ただ、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、すごい力があるので、どんな病気も治すことができるということを言うだけだ。
Bさんは、わらをもつかむ気持ちで、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言った。
「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉の、すごい力によって、病気が治るということはなかった。
あたりまえだ。
冷静に考えてみれば、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉に、そんな力はない。
けど、Aさんは、「俺がぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーーと言ったら、病気が治った」「これは事実だ」「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーーという言葉にはすごい力が宿っている」と言うのだ。
Aさんが「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言ったときは、病気が治った。
けど、これがほんとうだとして、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言ったから、治ったのか、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言ったあと自然治癒力によって病気が治ったのかわからない。
けど、Aさんは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言った「から」治ったと確信しているのである。
Aさんの世界のなかでは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には病気を治す力があるということになっている。
けど、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉には、その病気を治す、作用機序はない。
ただ単に、Aさんが、「から」と「あと」を混同しているだけなのだ。
けど、Aさんは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」という言葉に宿る力を信じている。
これと、言霊主義者の言霊はまったくおなじだ。
「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」ではなくて、「願望」「希望」「夢」「願い」を言うことになっている。だから、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」よりは、不自然ではない。
けど、おなじなのだ。
よく、「自分は、実際に願いがかなった」「だから、言霊は正しい」「言霊にはすごい力が宿っている」と言う言霊主義者がいるけど、それは、「から」と「あと」を混同しているだけだ。
願いを言ったあとに、その願いがかなっただけだ。
そして、願いがかなうかどうかというのは、条件によってちがう。
ほんとうは、条件のちがいが、時間の経過とともに「開花」しただけなのだ。条件と、時間の経過は、「願い」がかなうかどうかに、ものすごい影響をあたえる。「願い」を言ったかどうかよりも、ずっとずっとずっと、強い影響をあたえる。
だいたい、「願い」を言うことができる条件で、「願い」を言っているのである。「願い」を言うことができない条件なら、どれだけ何回、言霊の力を信じて「願い」の呪文を言っても、「願い」はかなわない。
それは、「ぴーぽっぱっ、ぷっぷぷぷーー」と言っても病気が治らないのとおなじだ。あるいは、「一秒後に、一億円が、机の表面からでてくる」と言っても、でてこないのとおなじだ。