むりだったんだよなぁ……。ヘビメタで……。兄貴のヘビメタで、むりだった。
ほんとうに、むりだった。あの生活がどういう生活か、ぼくしか知らない。知らないやつが、なんのかんのと言ったって、ひびかない。それ、知らないから言っているだけでしょ。「それ、自分のことじゃないか言っているだけでしょ。これ、ヘビメタ騒音の一日というのが、どういう一日なのか、みんなわかってない。いま、幼稚園の工事をやっているのだけど、こういう騒音じゃないんだよ。騒音は、いやだけど、騒音の種類がちがう。破滅度がちがう。破壊度がちがう。おやじの頭を搭載した、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で鳴らしているんだぞ。一日が、どれだけ精神を保とうとしても、「へちゃむくれ」。なぐられて不愉快な思いをした日よりも、ずっとずっとずっと、不愉快。常に鳴っている……。この「常に鳴っている」ということの意味が、ほかの人にはわからない。そして、きちがい兄貴のきちがい度が、ほかの人にはわからない。
あれ、毎日、鳴らされて、三年と半年後に受験とか、ありえない。 あれ、毎日、鳴らされて、六年と半年後に受験とか、ありえない。そりゃ、受験で苦労した人はいると思うけど、苦労の意味合いがちがうんだよ。中学、高校の、六年間、ずっと毎日、ヘビメタ騒音なしですごしたかった。ぜんぜんちがう。中学、高校の、六年間、ずっと毎日、ヘビメタ騒音なしですごした人の苦労とはぜんぜんちがう。中学、高校の、六年間、ずっと毎日、ヘビメタ騒音なしですごした人が、「自分だって、たいへんだった」と言ってもなぁ……。中学、高校の、六年間、ずっと毎日、ヘビメタ騒音なしですごした人が、「自分だって、苦労した」と言ってもなぁ……。
そりゃ、苦労としたと思うけど、ぜんぜんちがう。
持続してしまうんだよ。鳴っているあいだ持続してしまう。そして、鳴ってないあいだも、持続してしまう。みんな、鳴ってないあいだは、ヘビメタ騒音の影響をうけないと思っているんだよな。うけるに決まっているだろ。そういうことさえ、わからない人間が、言い出す、苦労。じゅうぶんにキャリアを積んでいるやつが言う「苦労」。なんじゃそりゃ。
これを言っちゃおしまいなんだけど、たとえば、佐藤は、その時点で、無職だったけど、二〇年ぐらいはちゃんと働いている。それは、二〇年ぐらいは、ちゃんと朝起きることができたということだ。そういう人間が言う「俺だって朝はつらい」という言葉……。そういう人間が言う「俺だって朝はつらい」と、ぼくの言っている「朝、つらい」という言葉の意味がぜんぜんちがうのである。 「俺だって朝はつらい」という言葉……ということを言う人は、ヘビメタ騒音をま毎日毎日、一〇年はおろか、六年ですら、経験してないのである。六年、毎日経験してみろ。「ちがう」ということがわかるから。
げんにやっているということは、それが「破滅的ではなかった」ということだ。やっているのだから、破滅的ではない。きちがいヘビメタ騒音は、「やれなくなる」ほど、破滅的なんだよ。ぜんぜんちがうじゃないか。
こんなの、ほんとうに、日当たり良好条件の種や、日陰条件の種が「私だって苦労した」「けど、のびた」と言っているのとおなじ。ぜんぜんちがうんだよ。
破壊されて、できなくなったあとに、破壊されてない人から「私だって苦労した」と言われてもなぁ……。げんに、できているじゃないか。
なってないあいだはへびたそう