言霊主義者は、時系列的なことを考えられないんだよなぁ。だから、ほかの人に対して失礼なことを言うことになるのだけど、本人は、ぜんぜん失礼なことを言ったと思ってないんだよなぁ。こまるなぁ。
Aさんと、Bさんがいたとする。Aさんが、毒を打たれて、苦しんでいるとする。あまりにもくるしいので「苦しい」と言ったとする。そこに、Bさんが登場して「苦しいと言うから苦しくなる」と、Aさんに対して言うのだ。
Bさんは、Aさんが苦しんでいる理由について、まちがった考えをもっている。見当違いのことを言っている。Aさんは、毒を打たれたあと、くるしいと言っているわけで、毒を打たれたということが、さきで、くるしいと言ったのは、あとだ。
「苦しい」と言ったから、毒が、超・自然的な方法で、Aさんのなかに入って、Aさんが苦しみだしたというわけではない。
Bさんは、Aさんを侮辱しているつもりはないかもしれないけど、これは、侮辱だ。
きちがい的な親のもとに生まれてきた子供は、きちがい的な親に虐待されて、くるしい思いをするわけだけど、きちがい的な親のもとに生まれなかった子供は、きちがい的ではない親に虐待されない。たとえば、きちがい的な親が、きちがい的な理由で、幼児である子供に「いどみかかっていって」ぶんなぐったとする。ぶんなぐられた子供は、「いたい」といったとする。その場合「いたい」と言ったから、いたくなったのか?
そんなことは、ない。
ところが、言霊主義者は、「いたい」と言ったから、いたくなったと推論するのである。言ったから、言ったあとに、痛くなったと、言うわけだ。そして、「いたくない」と言えば、いたくなくなると言い出す。「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなると、言いやがる。
出来事に関係なく、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなる。
こんなの、精神病以外のなにものでもない。言っておくけど、言霊主義者が精神病だと言っているのではなくて、出来事に関係なく、「楽しい」と言えば楽しいと感じるやつが精神病だと言っているのだ。
言霊主義者のなかでは、出来事に関係なく「楽しい」と言えば楽しくなるような精神病患者が正常で、出来事に対応した感情をもつ人が、異常だということになる。だって、「楽しい」と言っても、楽しくないだから、異常だということになるだろう。
言霊理論が正しければそうなる。言霊主義者の、ここらへんの、現実理解というのは、非常に、非・現実的だ。頭の中で、そのとき「つくっている」だけなのである。
ほんとうは、言霊主義者にしたって、出来事に応じた、感情をもっている。言霊主義者だって、出来事に応じた、感情がわきあがるようにできている。それを、否定しまっている。
言霊主義者というのは、現実的な考えができない。しかし、それほど、現実から逸脱しているようにも見えないと思う。それは、言霊主義者が、その都度、現実的な対応をしているからだ。言霊主義者も、言霊とは関係なく、現実的な反応をして暮らしているのだ。
言霊主義者が、言霊主義について語るのは、対象が他人であって、自分ではないときと、言霊理論がうまく合致しているようなことが起こったときだけなのである。それ以外は、言霊主義者といっても、言霊理論を無視して、暮らしているのだ。
そして、そういうことについて、疑問に思わないのだ。これは、言霊主義者が、幼児的万能感に支配されているからだ。幼稚なのである。人のことが考えられないのである。
自分だって、たとえば、ほかの人になぐられて「痛い」と言ったときは、「痛いと言ったから痛くなった」とは考えないで、なぐられたから痛くなったと考えるのだ。なぐられたのだから、痛く感じるというのは当然だと、考えるのだ。自分がなぐられたときは、痛いという反応がしょうじたことについて、確かな証拠?があるので、「痛い」と言ったから「殴られたように痛くなった」と感じるわけではない。あるいは、考えるわけではない。自分にとって、あきらかなことに関しては、言霊思考(言霊理論に基づいた思考)をしない。
他人事だと、他人の事情がわからないので、言霊的な解釈をして、言霊理論にしたがったことを言うのである。