たとえば、きちがいヘビメタ騒音で眠れなくなるという状態が続き、起きている時間もつらいという状態が続くと、それが定着する。人間の頭が正常なら、学習もある。これ、正常な学習なのである。学習機能が異常なのではなくて、体験のほうが異常なのである。ともかく、朝起きてつらい状態というのは、記憶されてしまう。そして、朝起きてつらい状態でも、なんとかがんばりきって動いたというときの「こころの状態」も記憶されてしまう。かりに、非・二四時間睡眠覚醒症候群になり、起きる時間がずれたとしても、つらい状態なのである。これは、朝だからつらいというわけではない。午後四時に起きたって、朝起きたように、つらいのである。きちがいヘビメタ騒音をあびたので……何時間も何時間もあびたので、眠るべき時間に眠れなくなった。それは、当然のことなのである。人間のからだをもっていれば、だれでもそうなるのである。ヘビメタ騒音ではなくて、その人がこの世で一番嫌いな音が、連続して何時間も何時間も鳴っていたということと、どれだけ何回、「やめてくれ」といいに行っても無視されたということが重要なのである。毎日つみかさなってしまう。ヘビメタ騒音ではなくて、その人が一番嫌いな音ということにすれば、だれもがそうなることなのである。眠れなくなる。それから、ヘビメタ騒音をあびたから、眠れなくなっているとき「眠れる」と何回言っても、眠れなかった。じつは、ものすごく、眠たい状態なのである。けど、脳みその一%が激しく抵抗して眠れない状態なのである。ヘビメタ騒音によって生じるつかれというのも、学校で普通の活動をしょうじるつかれとは、まったくちがうものなのである。普通のつかれじゃない。異常なつかれだ。質がちがう。そもそも、あのきちがい状態のなかで、「我慢してすごした」ということが問題なのである。ところが、言霊主義者は「眠れると言えば眠れたのに、言わなかったからダメなんだ」と俺をせめるのである。「眠れる」と何回も言えば、眠れたのに、そういう努力を怠ったからダメなのだと言ってくるのである。理由がちがうのである。言霊主義者が考えている、眠れない理由と、ぼくが考えている眠れない理由がちがう。その言霊主義者は、ぼくが経験した、きちがい家族による、きちが的な騒音というものを、毎日経験したわけではない。だから、「騒音」とか「疲れ」というものに関しても、ちがうものを思い浮かべている。その言霊主義者だって眠れない夜をすごしたことはあるだろう。なので、そういう自分の記憶をもとにして、考えているのである。ところで、本当にその言霊主義者は、「眠れる」と言えば、脳みその状態に関係なく、眠れるのだろうか。
まあ、言霊主義者のことはいいとする。問題なのは、普通の人が感じない異質なつかれを感じたということだ。そして、異質なつかれが、人生のなかで毎日続いたということだ。これがでかいことなのである。けど、「過去は関係がない」とか「鳴り終わったなら関係がない」と考える人は、そういうことを無視してしまう。腹だたしいことではないか。腹は、たつよ。これ、すべてが、侮辱なんだよ。普通の人が、勘違いをして、普通に、侮辱してくる。きちがい兄貴が、きちがい的な意地でヘビメタを、でかい音で、何時間も何時間も鳴らすとそうなる。そして、普通の人は普通の人なので、「そんな音で鳴っているのに親がなにも言わないなんて言うのはおかしい」と考えるのだ。そして、たとえば、目の前のぼくが、無職であれば、「無職だからへんなことを言っている」「無職だから、嘘を言っているのだろう」と考えるのだ。こうやって、きちがい兄貴がきちがい的な意地で鳴らしたということが、ぼくをおいつめる。普通の人は、きちがい兄貴の行動も、きちがい兄貴の感覚も、きちがい兄貴の態度も、なにもわかってない。自分の普通の感覚で考えて、おかしいと思えるものはおかしいと思ってしまう。