「言霊はすごい」ということを言う人は、言霊の力と、言葉の力を区別してない。AさんとBさんがいたとする。Aさんが、Bさんに対して「おまえは、くそバカ陰謀論者だ」と言ったとしよう。そして、Bさんがその言葉で傷ついたとしよう。
その場合、たしかに、言葉にはある一定の効果があると言っていいということになる。
しかし、それは、言葉の力であって、言霊の力ではないのである。
たとえば、Bさんが、日本人ではなく、日本語がまったくわからなかったとする。その場合は、言葉の意味がわからないので、特に傷つかない。言葉が理解できないから、「傷つく」という反応が起こらないのである。
逆に、言葉が理解できるから、理解した意味内容をさとって、Aさんが……自分(Bさん)のことを……ばかだと思っているということが、わかり、傷つくのだ。
言霊の場合は、言霊自体に力(ちから)があるということになっているので、言葉の意味を理解できるかどうかは関係がないのだ。
言霊主義者における言霊というのは、言葉自体が、エネルギーをもっているのである。言霊主義者における言霊というものは、物理法則をこえるような「超自然的」エネルギーをもっているのである。言霊主義者における言霊というのは、現実的な意味で、未来をかえるような力(ちから)をもっているのである。
なので、言霊主義者における言霊というのは、言葉を理解できるかどうかということは関係がない。
たとえ、言葉が理解できない対象でも、言葉を放ったなら、その対象は、その言葉の影響をうけるということになっている。……言霊論者における、言霊というのは、そういうものなのだ。
言葉の意味を理解できないと書いたけど、別にこれは、人間じゃなくても、人間が放った言霊の影響をうけてしまうというのが、言霊理論なのである。
たとえば、「雨よふれ」と言ったら物理運動に関係なく、雨がふるのである。「言霊」はそういう力(ちから)をもっているのものなのである……。言霊主義者にとっては、言霊というのは、そういうものなのである。
言葉を理解できるものが、言葉の影響をうけるということはある。けど、それと、言霊とは関係がないのである。ところが、『影響をうける』から『言霊はすごい力(ちから)をもっている』ということになってしまうのである……。言霊主義者のなかではそうなる。
言霊主義者における言霊は、物理現象をこえる力(ちから)なのである。
物理法則よりも上の法則なのである。超・物理的な存在なのである。言霊には、物理法則をかえる力(ちから)があると言霊主義者は、思っているのである。
だれか、ひとりの人間が「雨よふれ」と言ったら、物理法則に関係なく、物理法則をこえて、言霊の力(ちから)が働き、雨がふるのだ……。そういう意味を込めて、「言霊」という言葉を使っているときもある。
ところが、ただ単に、「言葉の影響をうけるよね」というような意味を込めて、「言霊」という言葉を使っているときもあるのだ。
ただ単に、言葉を理解するものが、言葉を聞いた場合、その言葉の影響をうける「場合がある」ということを言っているにすぎないのだ。その言葉の影響をうけない場合もある。けど、この問題は、あとで言及することにする。
ともかく、言霊主義者は、超・物理的な力(ちから)をうみだすものとしての「言霊」と、人間は言葉の影響をうける動物だという意味での「言霊」を区別してない。言霊主義者は、この区別をしてない。
ひとりの人間が、言っただけで、物理法則をくつがえしてしまうことができる……。そんなことはない。
だいたい、ひとつの結果をもたらすことについて、ふたりの人間がそれぞれちがったことを言ったらどうなるのだ?
どっちの言葉が優先されるのだ。どっちの言霊が優先されるのだ?