じつは、「言う」よりも「思う」ほうがやっかいだ。「言霊」よりも「思霊」のほうが、やっかいだ。
人間は、種とはちがって、手も足もある。思考することだってできる。だから、思ったことが、現実化する……というタイプの反論が想定される。けど、ぼくが言いたいことは、「言霊」でも「思霊」でも基本はおなじだ。この社会は、ものすごい、条件差別社会、あるいは、条件格差社会で、社会が、条件を肯定しているのである。だから、悪い条件のもとに生まれた人と、いい条件のもとに生まれた人の差が大きすぎる。個体が思って、努力するということでは、まったく解決がつかない問題を、悪条件が生み出す。悪条件がない人は、最初からない。生まれたときからない。生まれたときから好条件の人と、生まれたときから悪条件の人の差がでかすぎる。ところが、条件は無視される。『条件なんて関係がない』という考え方が支配的なのである。これは、悪い支配者がしくんだことだ。長い長い間、悪い支配者側ががんばって、がんばって、庶民を洗脳したから、いまこういう状態になってる。
条件の無視と、魔法的な解決法の提案は、セットだ。魔法的な解決法は、じつは、悪条件だと、まったく意味をなさないのだ。まったく意味をなさないどころか、有害なのだ。けど、「有害だ」ということを、これたま、好条件の人が理解しない。「自分は思ってやってきた」「自分は言ってやってきた」……「思うことは重要だ」「言うことは重要だ」……これで、あっているのである。好条件なら、こういう思い込みであっている。プラスの効果をあたえる。けど、悪条件だと、こういう思い込みに基づいた行動が、トラブルをひきこ押すのだ。いいことにならない。さらに、こういう思い込みに基づいた行動で、残り少ないエネルギーを使ってしまう。有害な行為のために、エネルギーを使ってしまう。これが、さらなるトラブルを引き起こすのだ。いままで述べてきたように、悪条件組の人というのは、もともと、ピンチなのである。やられている存在なのである。その、やられている存在が、有害なアドバイスにしたがって行動すると、かなりの確率で、トラブルがしょうじる。そして、時系列的には、トラブルをしょうじさせるために、残り少ないエネルギーを使ったということになってしまう。
まあ、なんのことを言っているのかわからない人もいるかと思う。まあ、じゃあ、いろいろとはぶいて、ごくごく簡単に説明しておこう。目的地に行けば、問題が解決するという情報があるとする。ここに行けば、問題が解決するというアドバイスを受けた。なので、なけなしのカネをはたいて、電車で目的地に行ったとする。ところが、その目的地に行っても、問題が解決しなかった。その目的地の情報が嘘だったのである。で、そういうことを何回か繰り返しているうちに、おカネ、体力、時間を消費してしまった。そうしているうちに、病気になって、動けなくなってしまった……。こんな感じなんだよ。ニセのアドバイスにだまされて、行動してしまったから、「おカネと、体力と、時間」を消費してしまうということが起こる。何回も、だまされて、何回もトライしていれば、時間の問題で、だめになる。「おカネと、体力と、時間」と言った場合の時間というのは、たとえば、電車に乗るために、駅まで歩く時間、電車に乗っている時間、ニセの目的地まで歩く時間のことだ。「時間の問題で」と言った場合の時間というのは、そういうことを何回も繰り返して、ときが流れたということだ。手短に言うと、数年とか、十数年とか、何十年という時間経過のことだ。だから、まあ、この場合は、「時間」の意味がちがう。