超・暗闇条件の人が悩んでいるとする。超・暗闇条件の人が、超暗闇条件でくるしめられているとする。これは、条件がもたらすものだ。生まれたとき、きちがい的な父親がいるうちに生まれれば、『きちがい的な父親』という負の条件が成立してしまう。そして、たいていの人には、『きちがい的な父親』とい負の条件が成立してない。『きちがい的ではない父親』という条件が成立しているのだ。きちがい的ではない父親条件の人が99%、きちがい的な父や条件の人が1%いるとする。その場合、きちがい的ではない父親条件の人は、1%『きちがい的な父親』条件の人がかかえる問題を、理解しない。自分が経験してない問題だから、わからない。そして、『きちがい的な父親』という条件は単なる条件ではなくて、一定期間ずっと続く条件なのだ。なので、きちがい的な父親がもたらす問題が累積する。時間の経過とともに、不愉快な出来事が累積していく。
一日のなかで、たくさんの出来事があったとして、そのすべてが「負の出来事」だとすると、やはり、精神的にくるしくなる。どれだけ、「楽しい楽しい」と言っても、楽しくない気分のまま、泣き出しそうになる。この、きちがい的な父親がもたらす、負の出来事ということ自体が、ほかの人にはわからないことなのである。基本、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」というような「うその励まし」は、いい効果をあたえない。きちがい的な父親だけではなくて、きちがい的な家族によってもたらされる「負の出来事」は、ほかのすべての出来事を、「負の出来事にかえてしまう」力がある。それこそ、そういう力が宿っている。「カード」というか「条件」というかは別にして、ともかく、きちがい的な父親というカードをもっている人は、きちがい的な父親というカードをもってない人には、まったく理解できない出来事を経験する。そして、そのカードがあると、ほかのカードがどれだけよくてもだめなのだ。これは、マイナスカードで、Aという才能のカードをもっているにしろ、Aという才能カートがマイナスカードになってしまうような力がある。プラスの数字に、マイナス数字をかけるとマイナスになるわけだけど、そういう力があるカードがある。その特殊なマイナスカード以外のカードは、全部プラスカードなのである。だから、プラスカードとプラスカードを掛け合わせたような効果がある。しかし、特殊なマイナスカードは、プラカードとの組み合わせでも、結果をマイナスにしてしまう。マイナスカードとマイナスカードをかけるということは、できないとする。たいていのカードは、プラスなのである。格差があるという場合、プラスの値の格差になる。プラス一とプラス一〇の差だ。普通、プラスカードしかない状態だから、マイナスカードの効果が、まったくわからない。経験としてまったくわからない。理解できない。予想できない。まったくまったく、マイナスカードがどういうふうにマイナスの効果をおよぼすのか、推測できない。プラスカードしかない人にはまったくまったくわからない。だから、プラスカードしかない人の、マイナスカードをもっている人に対する助言というのが、マトのはずれたものになる。また、マイナスカードをもっている人に対する助言というのが、マイナスになる。意味をなさないというよりも、はっきりと、マイナスになる。
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「ぴっぱらぷぷ」という言葉にはすごい力が宿っていると考えている人がいるとする。その人のなかでは「ぴっぱらぷぷ」と言ったあと、自分の願望を言えば、どんな願望でもかなう……ということになっている。とりあえず、ぷぷ信者と呼んでおこう。
で、ぼくが、きちがいヘビメタのことで悩んでいたとする。あるいは、きちがい親父がもたらした不幸な出来事で悩んでいたとする。あるとき、ぷぷ信者と会ったとする。ぷぷ信者は「ぴっぱらぷぷ」と言ったあと、「きちがい親父が、きちがい親父ではなくて、普通の親父になる」と言えば、きちがい親父が普通の親父になると言った。「ぴっぱらぷぷ」という言葉にはものすごい力が宿っているので、なんでも、「ぴっぱらぷぷ」という言葉のあとに言ったことが、現実化すると言った。なので、ぷぷ信者の言うとおりに、「ぴっぱらぷぷ」「きちがい親父が、きちがい親父ではなくて、普通の親父になる」と、ぼくは、言った。ところが、どれたけ言っても、きちがい親父はきちがい親父のままで、普通の親父にならなかった。「ぴっぱらぷぷ」と言葉に、現実を買えるような力があるとは思えない。「ぴっぱらぷぷ」という言葉を言うと、物理法則をこえて、きちがい親父の頭を改変するようには思えなかった。なので、ぷぷ信者に「言ったけど、現実化しなかった」というということを言った。そうしたら、ぷぷ信者が「ぴっぱらぷぷという言葉には、ものすごいパワーが宿っている」「これは真実だ」と言って、怒りだした。いやー、怒ったとしても、「ぴっぱらぷぷ」「きちがい親父が、きちがい親父ではなくて、普通の親父になる」と言ったのに、きちがも親父が、きちがい親父のままで、普通の親父にならなかったのは、事実だ。怒られてもこまるのである。で、まあ、それはいいとする。ところが、つぎからつぎへとぷぷ信者があらわれて、まえのぷぷ信者とおなじことを言うのだ。そのたびに「ぴっぱらぷぷ」という言葉には、ものすごいい力はない。「ぴっぱらぷぷ」という言葉で現実を改変することはできないということを言うのだけけど、みんな、おなじように怒って、帰っていく。まあ、帰ってくれるだけ、ましなんだけどさぁ。ある日、ぷぷ信者が「人のことをかえることはできない。人のことをかえるより、自分をかえたほうがいい」と言っているところを目にしてしまう。ぼくは「あれ?」と思った。「ぴっぱらぷぷ」と言ったあと、願望を言えば、どんな願望でもかなうんじゃないの? ぷぷ信者というのは、こんな人たちばかりなのだ。入れ代わり立ち代わり、ぷぷ信者があらわれて、「ぴっぱらぷぷ」という言葉にはすごい力が宿っていると言う……世界。そういう世界……。そういう世界に、ぼくは住んでいる。