「言ったからそうなった」と考えている人は、本気で、そう考えているのである。そういう世界観のなかで生きている。
だから、悪意なく、「言えばいい」ということを言うわけだけど、言われたほうは、こまるのだ。ほんとうのことを言えば、「言ったから、そうなった」のではない。原因について、考え違いをしている。
「言ったから」ではないのに、「言ったから」だと思っている。
「明日は雨がふる」と昨日、言ったから「雨がふった」と考えているのとおなじだ。その人が言ったかどうかとは関係なく、物理的な運動の結果、雨がふっている。空気を構成すると物質の分子と、水の分子と、リチの運動によって、雨がふったのだ。
この一連の運動に対して、だれかが「雨がふる」と言ったことが影響をあたえたかというとあたえてない。
雨がふった原因を考えると、雨がふった原因は、物質の物理的な運動だ。
物理的な運動は物理法則にしたがっているのだけど、「言う」ことによって、その物理法則をくつがえすことができるかというとできない。
言霊には、そういうパワーがじつはない。
「あなたは素晴らしい」と言ったときの相手の反応と、「あなたはバカだ」と言ったときの相手の反応がちがうので、言葉にはすごいパワーがあるということは、……まあ、言えるけど、それは、物理法則をこえる言霊パワーではない。
ところが、これが、同一視されているのである。
相手の反応と言うのも、じつは、言葉以外の表情や、言葉以外のジェスチャーの影響をうけている。
たとえば、AさんとBさんCさんがいたとする。Aさんは、Bさんの歌がすばらしいので、「あなたは、歌がうまい」と言ったとする。その場合、ほんとうに「歌がすばらしい」と思ったので「あなたは、歌がうまい」と言ったわけだ。
しかし、たとえば、Cさんが、Bさんの歌を、うるさいだけのひどい歌だと思ったとする。そして、ほんとうは「あなたの歌はひどい」「あなたは、へたくそすぎる」と言いたかったとする。
けど、そういうことを言うと、問題がしょうじるので、しかたがなく、おべっかで「あなたは、歌がうまい」と言ったとする。
この「あなたは、歌がうまい」という言葉自体はおなじなのである。言葉自体がものすごいパワー(ちから)をもっているものなのであれば、どっちの場合も、Bさんはよろこぶはずなのである。
ところが、Bさんは、Cさんの表情や声のトーンから、Cさんが嘘を言っているということを見抜き、よろこばなかったとする。
「言葉」だけがパワーをもっているのであれば、そういうことは発生しない。
おなじ言葉なら、おなじ反応を引き起こすはずだ。
言霊主義者は、「ことば」だけに注目して、表情やジェスチャーを無視している。
おなじ言葉は、おなじ力(ちから)をもっているはずなのである……言霊理論にしたがえば……。
そして、言霊主義者は、それまでの流れというものを無視してまう。それまでの出来事というのは、無視できない。ところが、「言葉」に注目しているので、言葉がパワー(ちから)をもっているという考えにしたがって、時系列的な出来事を無視してしまう。
時系列的な出来事がちがえば、たとえばの話だけど「あなたの歌はひどい」とだれかがだれかに言ったとき、言われたほうがよろこぶということだってある。よろこんで、わらいだすかもしれないのだ。そういう、可能性だってある。
言葉自体に宿る言霊が、現実をつくりだすという考え方は、まちがっている。
たしかに、おなじ言語を理解するものどうしで、交流をしている場合、言葉は重要だ。
しかし、たんなる「言葉の力(ちから)」と「言霊の力(ちから)」を混同してはいけないのである。
超・物理的な力(ちから)をもっている言霊と、言葉の意味が、相手の心理に影響をあたえるという意味での言霊は、ちがうのである。