実際に、経験したことがない人にはわからないことが多すぎる。大きすぎる。これ、わからないんだよ。きちがい的な家族との生活というのが、経験したことがない人にはわからない。きちがい兄貴の、きちがいヘビメタ騒音というのは、みんなが理解しているようなものじゃない。経験がない人が、ぼくの話を聞いて、推し量って理解するわけだけど、その理解したそれと、実際のそれが、おーーきく、おーーきく、異なるのである。ほかの人には、きちがい兄貴がいない。きちがい親父もいない。きちがい親父は、きちがい兄貴に一切注意をしないということで、きちがい兄貴の行動に影響をあたえている。けど、きちがい親父のことがわかってない人には、それがわからないのである。だから、「そんなに大きな音で鳴っているなら、親が注意するはずだ。エイリさんが、嘘をついている」と思ってしまう。そういうふうに推論してしまぅ。普通の人のうちには、(うちの)きちがい親父のようなタイプのきちがい、(うちの)きちがい兄貴のようなタイプのきちがいがいない。それは、そういうやつに、やられた経験がないということだ。そういう「家族」にやられた家族にやられた経験がないということだ。これは、たとえば、アタオカ上司にいじめられたということとはちがう。アタオカ上司の場合は、最悪、自分がその仕事をやめれば、アタオカ上司の影響から逃れることができる。けど、自分のうち……自分が生まれたうちに、きちがい的な親やきちがい的な兄弟がいるということは、アタオカ上司のように、縁を切れないということを意味している。そんなの大人になれば、縁を切ることも可能だ……。けど、大人になるまでに、破壊的な影響をうけている場合は、それも、むずかしいことになる。それから、付け加えておくと、「上司との関係」ということに関して、「普通の人が考えていること」と「家族との関係」ということに関して「普通の人が考えていること」はちがう。家族に対するスキーマがある。会社の人間関係に対するスキーマがある。不可避的に、無意識的に、その人が「家族」というものについてどう考えているかということが、反映してしまうのだ。これは、ようするに、自分と他人というものを考えた場合、他人がもっている「家族関係」というスキーマと「上司部下関係」というスキーマがちがうということを影響をうけるということだ。ようするに、社会のなかの人が、「家族」というものに関して、ある一定の考えをもっているとすると、きちがい的な家族にやられた人が、その社会で住みにくくなってしまうのである。これ、わかるやついるかな?