2023年7月5日水曜日

条件が成り立っていたのに、条件のことは無視してしまうのである

 超自然的な言霊と言葉としての言霊がある。

ようするに、言霊主義者のなかで、このふたつが、混在しているのだ。

そして、言霊主義者は、このことについて、無頓着だ。超自然的な言霊について、語ったあと、言葉としての言葉について語るときがある。

とのとき、言霊主義者が両者のちがいについて意識しているかというと、意識してない。

ひどいのになると、言葉としての言霊が人のこころに影響をあたえるということを、根拠にして、超自然的な言霊があるということについて語りだす。ここらへんは、「言霊」というおなじ言葉を使っているから、本人が、混同して、言っているだけなのだけど、本人は、まったく気がつかない。自分の「言霊」という言葉の使い方は、正しいと思っている。

そういうことの背景には、幼児的万能感がある。

問題なのは、悪条件組の人間も、幼児的万能感をもっているということだ。

だから、暗闇箱条件の種が「日当たりがよくなるよくなる」と言い続けるような状態が発生する。日当たり良好条件の種にとって、「思ったことが現実化する」というのは、正しいことなのである。自分の経験から言って、正しいことだ。

ところが、それは、ちがう。

正しいと思っているだけだ。

ほんとうは、日当たり良好条件の種が、幹をのばし、葉っぱをたくさんつけたのは、日当たりがいいからだ。「自分はいっぱい葉っぱをつける」とか「自分はのびてのびてのびまくる」と言ったから、そうなったわけではないのだ。

ここらへん、誤解をしている。

まちがった理由を、正しい理由だと考えている。そういうふうに考えてしまうのは、幼児的万能感があるからだ。幼児的万能感の影響で、そう考えてしまう。まあ、擬人的に言ったので、種というのは、人間のことだ。

ほんとうに、そう思っているので、特に悪意がなく、まったく無駄な方法を、他人に押しつけることができる。

それは、事実、暗闇条件のもとに生まれなかったから、言えることだ。

ところが、条件というものについてまったく考えないで、自分の場合はこうだったから、こうだというふうに考えてしまう。事実、日当たりがよい条件下で、幹をのばし、葉っぱをつけた……ということが、そういう考えに影響をあたえる。

条件が成り立っていたのに、条件のことは無視してしまうのである。

暗闇条件下に生まれた人は、日当たり条件下に生まれた人とおなじ条件が成り立っているわけではない。

なので、当然のごとく、日当たり条件下化の人が無視できることが無視できない。日当たり条件下の人は、たとえば、暗闇箱がないから、暗闇箱があるという条件を無視できるのだ。

けど、暗闇箱がある人は、暗闇箱があるという条件を無視できない。

ところが、暗闇箱がある人も、幼児的万能感をもっているいるのである。だから、一般的なことを言えば、日当たり良好条件下の人が言う「言霊的なこと」「思霊的なこと」を(暗闇条件下の人が)信じてしまうときがある。

そういう場合がある。

ところが、信じてしまっているとき、どういうことがおこるかというと、つらいことがおこるのである。不幸なことがおこるのである。日当たり良好条件下の人が言うようにはならない。

日当たり条件下の人は、特に悪意があるわけではないけど、むだな方法……無効な方法を有効な方法だ言って、おしつけるところがある。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。