「言ったことが現実化する」ということをファンタジーの世界で信じていたい人は、「言霊理論がまちがっている」ということを聞かされると、怒ってしまう。
何度も言うけど、自分の幼児的万能感が傷つくのである。自分の幼児的万能感が傷つき、ファンタジーの世界がこわれるのである。ファンタジーの世界では、自分の万能感が「いろこく」残っていて、そういう「夢」を見られるのである。
「夢」が破壊されたら、そりゃ、だれだって、怒るよなぁ。
で、まあ、言霊信仰?というのは、妥協の産物だということを言ってきたわけだ。どういうことかというと、言霊主義者は、自分の生活のなかで、言霊が成り立たないことに関しては、がん無視して、くらしている。
そして、言霊が成り立ったと思うようなことだけ、見て暮らしている。言霊が成り立ったと思うことに関しても、じつは、「言ったあと」現実化しただけで「言ったから」現実化したわけではない。
言霊に関しては、つねに、理由に関して、誤解をしているのである。言霊主義者は誤解している。
けど、言霊がかかわらない「ような気分がしている部分」に関しては、現実的な思考をしているのである。言霊主義者は、現実的な思考をしている。
とりあえず、現実的な思考を「現実思考」と呼ぶことにする。普段は、意識してないけど、人間というのは、暗黙知にもとづいて生活しているのである。なので、言霊理論が成り立たないとき言霊理論が成り立ってないということに気がつかなくても、普通に暮らしていける。言霊はすごい力をもっているという考えは、現実生活のなかで、部分的に存在するファンタジーの世界で成り立っていることなのである。
本人は、それでいいけど、暗闇条件の人、言霊的なファンタジーをぶつけるのは、どうかと思う。
それ、言霊主義者が、相手の現実を理解してないだけだから~~。
「他人」だから、他人の現実は無視できるだけだから~~。
暗闇条件の人には、暗闇条件の人の現実があるのである。それなのに、自分だって普段は、使ってない「言霊パワー」があるような前提でものを言うのは、よくない。言霊主義者だって、現実的な問題に関しては、「言霊パワー」を使わずに……使えないから使わずに……現実的に対処しようとしている。
そのとき、自分が「言霊のパワー」を否定しているということに気がついてないだけだ。
だから、「言霊のパワーがある」という前提で、人に助言するというのは、よくないことなのである。
どうしてかというと、そういう意味での「言霊パワー」が現実にはないからだ。他人の現実にはそういう言霊パワーが「ない」。存在しない。だから、「ある」という前提で助言されると、とてつもなく、こまる。暗闇条件の助言された人がこまることになる。