注)「言霊主義者だって実際には、こんな感じで暮らしている。」よりも前に書いた文章。
2023/07/10 15:54
出来事の発生順番について、ちょっと言っておきたい。言霊主義者というのは、「言ったからそうなった」という思考にこだわる人たちだ。だから、だれか、「つらい」と言っている人を見かけたら、「つらいっと言ったから、つらくなった」と考えてしまう。
たとえば、汚染魚を食べて、水俣病になった人がいたとする。
その人が「(水俣病で)つらい」と言ったとする。その場合、言霊主義者は「つらいと言ったからつらくなった」と考えてしまうのである。この場合、「(水俣病で)つらいと言ったから、水俣病になった」ということなのである。
時系列的な順番は、こうだ。(1)水銀を含んだ魚を食べる(この時点では、魚のなかに水銀が含まれているということはわかってない)(2)水銀の働きによって(のちに)水俣病と呼ばれる症状が出る(3)(水俣病の症状で)くるしいので、くるしいと言った(4)水俣病の症状で、「くるしい」といった人を見て、言霊主義者が「くるしいと言ったからくるしくなった」と言った。
とりあえず、水俣病になってしまった人を、Aさんと呼ぶことにする。「くるしいと言ったからくるしくなった」と言った人をBさんと呼ぶことにする。
出来事の発生順番は、(1)(2)(3)だ。別に、Aさんが「俺は、水銀の入った魚をくって、くるしくなるぞ」と言ったあと、Aさんが、水銀の入った魚を食べて、実際にくるしくなったわけではないのだ。
この場合も、実際には、水銀の「せいで」くるしくなったわけで、「俺は、水銀の入った魚をくって、くるしくなるぞ」と言ったから、くるしくなったわけではない。
「から」と「あと」の混同については、すでに、語っておいた。
今回、言いたいのは、時系列的な混乱なのである。言霊主義者の頭のなかにある、時系列的な混乱について語りたい。多くの言霊主義者は「言ったから言ったとおりになった」と考える力があまりにも強いので、時系列的なことを逆転して考える人になってしまうのだ。
因果を逆転させて考えてしまう。
原因のほうが、時系列的にさきに起こっているのに、「結果」のほうを見て、結果がさきに起こったと考えてしまうのである。原因になる出来事が、時系列的に言って、さきに発生している。
原因になる出来事が発生したあと、結果が発生している。
たとえば、水銀と細胞がむすびついて……物理的な運動が体内でおこって、くるしくなる。Aさんがくるしいと感じた。その結果、Aさんが「くるしい」と言った。
ところが、「くるしい」と言ったあと、Aさんが水俣病になり、くるしいと言ったという解釈を、言霊主義者はしてしまうのである。時系列的なことがまったくわかってない。
言霊主義者にとって、「原因」は「言った」ということなのである。なので、それ以外の原因は考えられない。なので、「言ったあと」結果がしょうじたということになってしまうのである。
けど、どうして、Aさんが「くるしい」と言ったかというと、事前に、水銀の入った魚を食べたからなのだ。本人は意識せず、水銀を摂取してしまった。水銀とからだを構成する分子の、物理的な運動の結果、くるしいと感じる状態になった。
これが、事実だ。
しかし、そういう原因を考えないのであれば、そして、「言った」ということが原因だと考えるなら、言ったあとに、「くるしい」という結果がしょうじたと考えてしまうのである。
だから、もし、時系列的に考えるなら、「本当の原因になることをするぞ」と、過去に言ってなければならない。たとえば、「俺は汚染魚を食べて、病気になるぞ」と言ったあと、汚染魚を食べて、病気にならなければならないのだ。
くるしくないときに、くるしいなんて、普通は言わない。そりゃ、お芝居をしていれば別だから、例外はある。けど、普通に、くるしいとき、「くるしい」と言う場合は、実際にくるしくなってから「くるしい」と言っている。
くるしくなる前に、「くるしい」と言い、「くるしい」と言ったから、くるしくなったと考える人たちがいるけど、これは、おかしい。
どうして、こういうことになってしまうかというと、「ひとごと」だからだ。普通の人だって、他人のことは、他人のことなので、自分のことのようには考えられない。
けど、言霊主義者はこの傾向は、強すぎる。
自分の現実については、言霊思考をしないで、普通に考えている場合のほうが多いのだ。言霊主義者だって、自分の現実に関しては、ちゃんと、言霊思考をしないで、考えることができる。
けど、他人のことになると、途端に、言霊思考が優位になって、言霊思考で、他人の状態を考えてしまう。「くるしいと言ったから、くるしくなった」……言霊主義者が、他人の現実を考えないで放つ言葉だけど、言われたほうは、それなりに、傷つく。不愉快な気持になる。「ちがう」と言いたくなる。
たとえば、言霊主義者が、魚を食べて、食中毒になったとする。その場合は、「よし、俺は、魚を食べて、食中毒になるぞ」と言ったあと、魚を食べたので、食中毒になったとは考えないのだ。
下痢でくるしいとき、「くるしいと言ったから、下痢になった」とは考えないのだ。言霊主義者だって「なにか下痢になるようなものでも食べたかな?」と思ったりする。言霊主義者だって「あの魚があやしいんじゃないか」と思ったりする。
おなかがいたくないときに、「おなかがいたくなる」と言って、言ったあと、おなかがいたくなったわけではないのだ。普通の人は、おなかがいたくないときに、「おなかがいたい」とは言わない。言霊主義者だって、普通の人とおなじように、おなかがいたくなってから「おなかがいたい」と言うのだ。
しかし、言霊思考だと、「いたいと言ったから」いたくなったということになってしまうのである。順番としては、「いたい」と言ったあと、「いたくなった」ということになる。言霊思考だと、そうなる。
言霊主義者だって、ころんだあと、いたいと言うのである。ころぶ前に「いたい」と言うわけではない。「いたい」と言ったから「いたくなった」わけではないのだ。自分がころんだ場合は、ころんで、地面に自分の膝を打ったから、「いたい」と言ったわけで、ころぶ前に、「いたい」と言って、そのあところんだわけではないということが、わかるのだ。ところが、他人のことだとわからなくなる。