どうせ、説明したってわからないとは思うけど、言霊信者は、自分の現実的な問題に関しては、言霊の力を使わないのである。言霊的な解決方法をこころみない。
なぜかというと、言霊には、そんな力はないということを知っているからだ。魔法的な解決法と言ったけど、これは、現実的にはまったく無力な解決法なのだ。役に立たないし、言ってもそうならない。
自分のことであれば、現実を知っているので、魔法的な解決法で、解決しようとしないのである。けど、ひとごとなら、ちがう。人のことは、わからないので、さも、魔法的な解決法が役に立つようなことを言ってしまう。
「一〇〇%の言ったことが一〇〇%の確率で現実化する」という意味で、「言ったことが現実化する」と言ってしまう。「言霊には、そういうすごいパワーがある」と言ってしまう。
だから、現実的な問題に関しても、言霊は有効なのである。言霊的な解決法は役に立つ解決法なのだ。ところが、実際には、「言ったって」解決しない。呪文として、どれだけ、言ったって、言った通りにはならない。
なので、言霊的な解決法は役に立たないということになるのである……。言われたほうの世界では、そうなる。ところが、言霊信者は、自分の……具体的であって、なおかつ、現実的な問題……には、言霊的解決法を使わないから、言霊信者のなかでは……具体的であって、なおかつ、現実的な問題……にも(言霊的解決法は)有効だと信じ込んでいるのである。
どうしてそういうことが可能かというと、相手が、言霊的解決法をもちいて、失敗したことは、どうでもいいことだからだ。「そんなのはおかしい」のである。自分のことではないので「そんなのはおかしい」とひとこと言えば、それですんでしまう。
他人が言霊的解決法に失敗したとしても、言霊的解決法は……具体的であって、なおかつ、現実的な問題……に関しても、有効なはずだと……言霊信者は信じ続けることができる。
こういうところでも、言霊信者は、自己中心的だ。相手の身に起こったことは、認めないのである。認めないで、見ないことにすれば……具体的であって、なおかつ、現実的な問題……に関しても、言霊は有効だということを信じ続けることができる。
ひとごとだから関係がない。ひとごとなので、その人がかかえている問題の根本が見えない。その人がかかえている現実や、その人がかかえている現実的な条件が見えない。自分の場合は、特に言及しなくても、見えているのである。
自分の現実や、自分の現実的な条件が見えている。
だから、言霊的解決法は、こころみることがないまま、封印?される。
最初から「そんなことあるわけない」「言ったところで、それが現実化するわけではない」と思っているので、自分の現実的な問題に関しては、言霊的解決法を使わないのである。