2023年6月8日木曜日

防草シート

 庭に防草シートをはったから、ちょっとだけ、前進したぞ。まあ、全部じゃないんだけど、一部を残して、防草シートを、はることができた。これで、ひとまずは、竹の心配がなくなった。竹がはえてきても、いまの状態なら、竹が細いうちに切ることができる。

まあ、1メートルの高さで切るという方法がある。真冬……一二月から二月あたりに切らないといけないのだけど、一メートルの高さで竹を切ると、竹の根がくさるらしい。竹の根っこというのがすごいんだよ。まあ、切ってから、竹の種類によって三年ぐらいはまたなけばならないのだけど、これで、竹を枯らすことができるらしい。

まあ、ともかく、自転車を救出できた。竹のほかにも、木がはえていたのだけど、その木というのが、問題のある木で、細かい枝を横にのばす木なのだ。これに阻まれて、自転車を出すことができなくなった。

だいたい、親父が生きていたときからそうなのだけど、自転車を出すために、自転車が置いてあるところまで行くだけで、蚊に四カ所ぐらい刺されるのだ。自転車を出すだけで、そのくらいさされる。家に帰ってきて、自転車を置くにしても、おんなじように、蚊に刺される。

そのくらいに、蚊が多かった。

「木を増やさないでくれ」とこっちが言っても、木が増えてしまうのだ。「枝を切ってくれ」といっても、きちがい親父が、切りたくない枝は切らないわけ。で、きちがい親父が切らない枝というのは、普通の人の感覚で言えば、切らなければならない枝なわけ。こういうところでも、いちいち、くるっているんだよ。

いちいち、話が通じないの。普通の人が、「じゃまだ」と思うところに、木を植えて、普通の人が、「じゃまだ」と思う枝を無視しやがる。

くるっている人というのは、こういうところでも、くるっているんだよ。

そして、おそろいほどの頑固さを発揮するから、行動の修正ができない。

なので、きちがいがやりたいようにやって、ほかの家族が不愉快な思いをしたまま暮らすということになる。きちがい的な親は、普通だったら、言わなくてもわかることが、わからない。きちがい的な親がどういうふうにくるっているか、ほかの人はわからない。


きちがい的な親は、普通だったら、言えばわかることが、感覚として、わからない。ごく普通に相手のつごうを無視する。相手がこまっているということが、わからない。

この、自分の行為で相手がこまっているということがわからないというのは、きちがい兄貴もおなじだ。おやじと兄貴は、おなじタイプの脳みそを搭載して生きている。普通だったら、言わなくても、わかることが、わからない。

普通だったら、言えばわかることが、わからない。何万回言ってもわからない。どれだけ言ってもわからない。自分のなかのちょっとした「きもち」が優先する。その優先の度合いがひどいのだ。

じゃあ、自分が相手にやっていることを、相手がやったらどうかというと、それはわかるのだ。怒る。

けど、相手が「やめてくれ」と言ってきたら、怒る。きちがい兄貴にしたって、騒音というものは体験したことがあるので、騒音はいやなのだ。

だから、自分が聞きたくない音を聞かされれば、怒る。ヘビメタの半分ぐらいの音量どころか、ヘビメタの四分の一、八分の一ぐらいの音でも、怒る。「うるさい」と言って怒る。

そのときは、きちがい兄貴が騒音で不愉快な思いをして、こまっているわけだ。けど、自分が八倍の音で、ヘビメタを鳴らしているとき、だれかが「うるさいからやめてくれ」と言っても、相手が、自分の音で、うるさいと感じているということが、わからない。

根本からまったくわからない。

「文句を言われた」ということだけは、なんとなくわかるので、きちがい兄貴が腹をたててしまう。この反応は、きちがい親父とおなじだ。きちがい親父も、だれかが「枝がじゃまだから切ってくれ」と言ってきたら、怒る。

この反応。相手がこまっているということは、認めない。この認めないというのも、認識はしたけど、不愉快だから認めないというレベルのことではないのだ。もっと深いレベルで認めない。

ようするに、まったくわかってない。まったくわかってない。相手がこまっているということが、まったくわからない。まったくまったくわからない。自分だって(だれかに)やられたら、腹をたてるのに、自分が相手にやっていることは、わからない。自分が相手にやっている場合は、わからない。

で、この「わからなさ」というのが普通の人の「わからなさ」ではないのだ。これが、普通の人にはわからない。きちがい兄貴やきちがい親父の「わからなさ」について、普通の人は、誤解をする。

だから、きちがい兄貴やきちがい親父にやられた人は……うちのなかでやられている人は……ほかの人からも誤解をされる。「そんなのは、言えばいい」「言えばわかってくれる」とほかの人は、気楽に言う。

きちがい親父やきちがい兄貴の「わからなさ」について、ほかの人が理解をしてくれたことがない。

ほかの人にとっては「へんなはなし」なのだ。

そして、「へんなはなしだ」で終わってしまう。

自分は、きちがい家族と暮らしているわけではないので、そういう感想がうかんで、終了だ。けど、きちがい家族と暮らしている人は、毎日、必然的に、不愉快な思いをすることになるのである。

これも、わかってないんだよな。

きちがい的な家族ときちがいではない家族は、ちがうんだよ。けど、普通の人はここのところがわかってないので、「自己責任」とか「自立」とか「他責思考」とかといったタームで、くくってくる。これだって、きちがい家族にやられた人にとっては、不愉快なことだ。だってちがうことを言っているんだからな。あーー、もう、いやだ。


 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。