条件というものが成り立っているので、条件を無視した助言というのは、まったく意味をなさないことが多い。光にあたって育ったタネが、光にあたらなかったタネにむかって「光があたると言えば、(光があたるから)光があたると言えばいい」と言ったって、無意味なんだよ。最初の条件がちがう。光にあたって育ったタネが、光にあたらなかったタネにむかって「光があたることを思い浮かべればいい」と言ったって、無意味なんだよ。最初の条件がちがう。光にあたって育ったタネが、光にあたらなかったタネにむかって「光を引き寄せればいい」と言ったって、無意味なんだよ。最初の条件がちがう。
最初に決まってしまっているのに、その条件だけは、無視して、ああだこうだと言う。いう権利があるのは、好条件に恵まれたほうなのである。ようするに、これは、いっぽう方向だ。好条件が悪条件に(ついて)言うことはゆるされるが、悪条件が好条件に(ついて)言うことはゆるされない。そして、好条件のやつは、生まれながらに好条件なのである。なので、ほんとうは、そういうこと……彼らが主張することで、好条件を引き寄せたわけじゃない。最初に決まっている。だから、ここらへんの問題を解決するには、霊界ということを考えて、霊界で、生まれるまえに好条件を引き寄せたというような話になる。
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それから、すべては決まっていたという考え方をするやつがいる。すべては決まっていたというやつにあったら、ぼくは、そいつをなぐってなぐってなぐってなぐってやる。そして、「おまえが俺になぐられることは、生まれるまえから決まっていた」と言ってやる。「決まっていたこと」なのだから、問題はないのである。なぐられた結果、ずっと動けなくなっても、それも、決まっていたことなのである。だから、なっとくできるはずだ。俺はなっとくしないけど、「すべては決まっていた」という考え方をするやつなら、なっとくできるだろう。
ここでは、「すべては決まっていたという考え方をするやつ」のことを運命論者と呼ぶことにする。運命論者が言っていることは、結果が出たあとのことなんだよ。すべてが決まっているなら、決まっていることについて語ることができるはずだと考えるはずだ。けど、そういうことは、考えないのである。決まってないからだ。決まってないから考えることができない。未来に関しては、決まっているのに、一切合切、わからないのである。それは、決まってないという状態とイコールだ。運命論者は、未来について語らず、過去についてだけ語るのだ。過去(について)はもう、結果が出ている。なので、語れる。けど、未来に関しては実際には結果が出てないので、一切合切、語れない。一切合切、語れないということは、決まってないということと、実質的にイコールだ。
実際には、ぼくだって、運命論者を、なぐらない。なぐったら、まけ」だと思っているからなぐらない。けど、運命論者が押しつけていることは、こういうことなんだよ。……つまり「決まっていたのだから、あきらめろ」「決まっていたのだから、なっとくしろ」ということだ。
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未来が決まっているということと、決まっていることについて語ることは区別する必要がある……。けど、じゃあ、どうやって、未来が決まっているということを知りえたのですか?