好条件、悪条件ということを考えると、ある人には複数の好条件が成り立っていて、ある人には複数の悪条件が成り立っているわけだ。好条件というのは、ひとつの好条件のことではなくて、複数の好条件のことだ。で、複数の好条件のセットと、複数の悪条件のセットが、生まれたとたんに決まってしまう。どこのうちに生まれるかということは、そういうことだ。たとえば、一〇〇の条件のうち、だれもが、五〇個ぐらいは悪条件で、五〇個ぐらいは、好条件だというわけではないのだ。そして、それは、思い込みではない。これも、「思い込み教」「受けとめ方教」だと、そういう悪条件とか好条件というのは、受けとめ方の問題なんだということになってしまう。好条件とか悪条件というのには、かたよりがある。全部好条件である人はいない……そういうふうに決めつけられるかどうかわらないけど、とりあえず、全部好条件である人はいないということにしておこう。そして、全部、悪条件である人もいないということにしておこう。けど、五〇個ぐらいは悪条件で、五〇個ぐらいは、好条件だというような人は、人数的に少なくて、好条件が九〇個ぐらい、悪条件は一〇個ぐらいというような人と、好条件が一〇個ぐらい、悪条件が九〇個ぐらいの人にわかれてしまう。なにを『条件』として認めるかという問題がある。それから、ひとつの条件が時系列に複数の結果をもたらすことがあり、また、ひとつの条件が時系列的に、ほかの条件に影響をあたえることがあるので、いま、ぼくが説明しようしていることは、正確なことではない。だいたいのことだ。中央に、山ができるような折れ線をえがいているのではなくて、両極に山ができるような折れ線をえがいているということだ。そして、『悪条件が多い折れ線の山』のほうが、山全体がおおきくて、山の頂点が高いということだ。
折れ線うんぬんというときのグラフだけど、縦軸と横軸について語っておこう。縦軸が人数で、横軸は条件の個数だ。横軸の左の端には「好条件が一個、悪条件が九九個という条件」右の端には「好条件が一個、悪条件が九九個という条件」中央には「好条件が五〇個、悪条件が五〇個という条件」になっていて、右に行くほど、好条件の数が増える。そういう軸を考えるとする。まあ、右端を「好条件が〇個、悪条件が一〇〇個という条件」でもいいけど、そういう人はいないという前提を採用したので、好条件が一個、悪条件が九九個という条件」のほうを採用しておいた。
「の」の重複は指摘しなくていい。