やはり、無職に偏見をもっている人は、レベルが低い思う。思考のレベルがとことん、低い。話にならないほど、低い。
そして、無職といっても、ほんとうは、働いているかどうかとは関係がない部分がでかいのである。
しかし、そういうことにも、思考がまわるということがない。そういうことについて考えるということができない。そいつらの頭のなかでは、じつは、言葉の定義とはちがう……「無職像」というべきもの……が成り立っていて、その無職像について、語りだす。
だれか、目の前の人が無職だと、その無職像について語りだすのである。
まあ、そういうことは、さんざん書いてきたので、ここでは、説明を省略する。しかし、思考のレベルが低い。どんだけ、思考のレベルが低いか? どれだけの偏見をもっているか? どれだけのまちがった判断をしているか?
引きこもりに、ついてもおなじことが言える。「引きこもり像」とたたかっているのである。アホだ。 アホすぎる。
まあ、アホなのは、引きこもりではなくて、引きこもりに偏見をもっている人だ。そして、そういう単純な思考しかできない人は、みんな、かわった家族にやられた人間を傷つけるのである。どうしたって、単純な思考しかできない人は……中立を装いながら……かわった家族側に立って、かわった家族にやられた人を攻撃しはじめる。それがスタンダードだ。
佐藤(仮名)の行動はまったくもって、そういう行動なのである。佐藤(仮名)の判断は、まったくもってそういう判断なのである。
ヘビメタ騒音の過程と、ヘビメタ騒音の影響について、完全に見誤っているのは、佐藤(仮名)のほうなのに、説教をして悦に浸っている、佐藤(仮名)は、それに気がつかない。
「俺だって苦労をした」という武勇伝……。武勇伝。これ、普通の人の武勇伝というのは、きちがい家族(かわった家族)にやられた人にはまったく役に立たない……参考にすらならない……のだから、そういうことをちょっとは考えたほうがいい。
これ、ほんとうに、普通の人は、わからないんだよな。普通の人というのは、普通の家族とともに育った人だから、かわった家族がどういうことを、するのかわかってない。根本的にわかってない。影響の深さがわかってない。